死に際って言えば、俺は小脳梗塞になったけど、入院したときは24時間点滴打ってたな。点滴を打っているとちょっと元気になってさ、トイレが見えている場所にあるから起き上がってトイレに行こうとすると、看護師さんに「なにやってんですか!トイレに行くときは看護師たちに言ってください!」って怒られてさ。そんな距離も行けない、自由にしてはいけないって、拘束されている自分っていうのはすごく情けなく思ったよね。

 病気したことで、平常であることの日々が愛おしいっていうとオーバーだけど、それくらいの気持ちになったんだよね。普通と思っていることとか、当たり前に思っていることが愛おしい。毎日、無事に終わって、寝るときに「あぁ今日も一日無事に終わったな」って、そんな感じだけなんだよ。だって、入院しているときは寝返りもできないし、点滴を打っているから何をやるにしてもひっかかるものがあるしさ。なんていうの、今は気楽といえば気楽だし、自由ということは凄いことだよ。

 自由っていいなと思う一方で、若いときは、相撲の厳しさのしがらみの中にいる自分も好きだったね。それは、自分の若さが、しがらみとかすべてを消化していたんだと思う。しがらみとかをなんとも思わないエネルギーがあった。すべてを気にもしなかったんだと思うな。それがさ、点滴打たれているだけで、鬱陶しくて鬱陶しくてしょうがない(笑)。自由がきかない自分に、どうしようもなくなる、これが歳を取ったていうものかなって思うよね。

 今はもう、全てのことに有難いとか、いろいろなことで俺は恩恵を受けているとか、ってそういうふうに考え方が変わったよね。「ありがとう」が自然と口に出せるようになった。昔は人の気持ちが分からないヤツだったよ。若いときは、自分が黒って言ったら黒だ!ってさせている自分に酔っていた。そういうツッパッている自分にね。

「ありがとう」って言っていい人になると早く死ぬんじゃないか?って女房には思われているよ(笑)。テレビで見ていた俳優さん、たとえば梅宮辰夫さんとかが亡くなると、自分の死に際ってどんなんだろうという気持ちと、静かに人生を全うしていける自分でいたいなって気構えみたいなものもあるよな。そういう俺でいたいっていうのも芽生えてるよね。若いヤツは啖呵きって「いつでも俺を殺してくれ!」なんて言うじゃない。俺たちそんなこと間違っても言わないからね(笑)。もうすぐ終わるからちょっと待っててって。自分で自分の人生を全うするのが運命かなって気持ちなんだよね。

 あっちの世のほうが仲間は多くなったからね。まぁ俺が向こうに行ってジャンボと馬場さんと再会したら、みんな先に逝っている先輩だからね。ま~た縦社会で「おまえ、俺の悪口言っていたな!」なんて、言い合ったりして。馬場さんにもきっと叱られるな(笑)。

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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