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天龍源一郎が語る“古希” 70歳にして早逝したジャンボ鶴田に思いを馳せる

連載「70歳からのはっけよい!」

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天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす(撮影/写真部・掛祥葉子)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす(撮影/写真部・掛祥葉子)

「アメリカにプロレスの修行のために日本を旅立つ日が誕生日の2月2日だったの。で、アメリカに着いた日付はまた誕生日の2月2日。なんか不思議な体験だったよね。それが30歳の誕生日だった。あれから人生の潮目が変わったよ」(撮影/写真部・掛祥葉子)

「アメリカにプロレスの修行のために日本を旅立つ日が誕生日の2月2日だったの。で、アメリカに着いた日付はまた誕生日の2月2日。なんか不思議な体験だったよね。それが30歳の誕生日だった。あれから人生の潮目が変わったよ」(撮影/写真部・掛祥葉子)

 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えて、カムバックを果たした天龍源一郎さん。今年に迎える70歳という節目の年に向けて、いま天龍さんが伝えたいこととは? 今回は2月2日間近に迫った70歳の誕生日「古希」をテーマに、飄々と明るく、つれづれに語ります。

【「天龍さん、30歳の誕生日が2回あったって?どうして?」】

*  *  *
 古希の誕生日はやってほしくない。どうしてかって? 60歳の還暦の誕生日に「みんなで中華料理を食べよう」って言われて行ったんだよ。そうしたら、「おめでとー!!!」ってみんなで拍手して20人くらい席についているから、俺が「なんだよっ?」って聞いたら「還暦の誕生日です」だって。俺、頭、きてね、「帰るっ!」って(笑)。「誰もやってくれなんて言った覚えはねーよ!帰るっ!」って怒鳴ってさ。それくらい頭にきたんだよ 。

 いや、サプライズのつもりなんだろうけど、「みんなでご飯食べに行こう」って言われたのに嘘つきやがって。「これはなんなんだよって!」って、「このヤローおまえら俺をだましやがって!帰るって!」言い出したから、女房に「まぁまぁいいじゃない」って抑えられたね(笑)。

 だから、今回、古希のお祝いをやってくれるって言われて、最初は「いいよ」って断ったんだよ。でも、うちの娘が骨を折っていろいろ準備しくれて、振り返れば自分の周りには早く亡くなった人もいるし、そんなことを思ったら、相撲とプロレスしかやっていない俺を祝ってくれるなんて、有り難いし儲けモンだなって思えた。

 サプライズの誕生日の祝いは全然喜ばないで平気で席を立つけど、相撲時代のときの誕生日ってほとんど覚えていないんだよね。あのころ貴乃花が、いまの若貴のお父さんがね、同じ干支の生まれで、俺が2月の誕生日で18歳、19歳になると、あいつも18歳、19歳になる。なのにアイツは十両で、幕内に上がっていって、俺とは雲泥の差がついていった。俺には相撲の素質がないのかなっていつも打ちひしがれていた。彼はどんどんランクアップして出世していくし、俺は相変わらず幕下で足踏みして、とどまっている。当時は、なんか、俺、暗い顔していたよ(笑)。すごく羨ましいっていうか、同じ生まれ年の貴乃花がいることで、自分を卑下する気持ちが湧いたというのが誕生日の思い出だな。


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