これに対し、藤川は「あそこで満塁本塁打を打たれたら、どうなるかわかるでしょ」と反論し、「ちゃんとついてますよ」と付け加えた。

 それから約2カ月後の6月25日、因縁の両者の対決が甲子園で実現。藤川は直球で真っ向勝負を挑み、再び三振に切って取った。これには清原も「完敗や。ナイスボールが来たんや」と脱帽するばかり。後に“火の玉ストレート”を代名詞に球界を代表するクローザーに成長した藤川は「清原さんに育ててもらったような気がする」とコメントしている。

 2005年4月29日の広島戦(広島球場)で史上8人目の通算500号本塁打を達成した清原だったが、それから8日後、5月7日の楽天戦(フルキャスト宮城)で、“人生で一番恥ずかしい本塁打”が飛び出した。

 1点差に詰め寄られた巨人は3回、先頭の5番・清原和博が一場靖弘の128キロカーブを左翼席に運ぶ。リーグトップのシーズン10号であるばかりでなく、西武入団1年目の1986年から史上5人目の20年連続二桁本塁打の金字塔を打ち立てた瞬間でもあった。

 だが、「ちょっと(タイミングを)抜かれたんで、まさかホームランになるとは思わなかった」という清原は、全力疾走で一塁ベースを回る。アクシデントが起きたのは、直後だった。なんと、足を滑らせてスッテンコロリン!背中からズデーンと一回転する大転倒に、みちのくのファンも一瞬どよめいたあと、「アハハハハ!」と大笑い。

 慌てて起き上がった清原は「打球はどこや?」と目を白黒させたが、ベンチのジェスチャーや一塁手のロペス、審判から本塁打と教えられると、「入ったの?本当?」と苦笑いしながら、ダイヤモンドを1周した。

 この一発で6対4と突き放し、再び流れを引き寄せた巨人は12対6と大勝し、4月15日以来半月ぶりの連勝。打っても転んでも絵になる“千両役者”は「これまで(502本)の中で一番恥ずかしいホームランでした。名演技?オレがビックリしたよ」と照れまくっていた。

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