一般的に偏差値の高い高校ほど、校則が自由になる傾向があります(もちろん、例外もありますが)。

 そして、荒れている高校は厳しく指導されます。僕が問題にするのは、特別荒れてもいない、平均レベルの高校でも、無意味な校則が多いということなのです。

 そして、無意味な校則は、「高校生らしい」「中学生らしい」という、じつに何の根拠もない言葉で「思考停止」を強制します。

 少し前、ツーブロックという髪形が「高校生らしくない」という理由で禁止だと報道されていました。すぐに、「ホテル業界では、ツーブロックは清潔感ある髪形とされています」とか「『サザエさん』に出てくる中島君はツーブロックだぞ」とか(笑)、いろんな反応が出ていました。

 僕が危惧するのは、比較的真面目で優秀な生徒こそが「高校生らしくない」という根拠のない言葉で、「思考することをやめる」習慣に染まることなのです。

 真面目な生徒は、根拠のないことを几帳面に受け入れるのです。そして、思考しても答えがないと予感するから、思考することをやめるのです。

 もし、中年の先生が「ツーブロックは私の高校時代にはなかった。私の高校時代になかったものは、すべて、許せない」と言うのなら、その正しさは別として議論ができます。

「先生の高校時代になかったものは、なぜダメなのか?」と、思考を続けることができるのです。

「なぜ?」という疑問を追及することが「思考すること」の原点です。たくさんの「なぜ?」を考え、それをひとつひとつ、自分で解決していくことが教育だとも言えます。

 でも、「ツーブロックは高校生らしくない」という断定は、議論をするきっかけがありません。なんの論理もないので、思考を停止するしかないのです。

 今の子供達は、中学生の時から、「なぜ?」という疑問を追及することではなく、「そういうものだ」という思考停止を受け入れることが日常になっていると僕は思っています。

 そして、(説明が長くなってしまうのでいきなり論理が飛んだと感じるでしょうが)ソニーとか任天堂とか、かつて、グローバル企業を生んだ日本ビジネス界が、現在、まったく創造的な世界的カンパニーを生み出せていないのは、優秀な生徒ほど、子供の頃から「思考停止」を受け入れてきたからだと僕は思っているのです。

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なぜ、学校の先生達は、「校則への執着」を続けるのか?