僕の学校では黒色のストッキングが指定で、ベージュのストッキングは「華美である」という理由で禁止されていました。

 隣町の高校では、ベージュが指定で、黒色は禁止でした。その理由を尋ねた生徒会長に、生徒指導の先生は「黒色は娼婦っぽいだろ」と答えたと教えてくれました。ということは、僕の高校の女子生徒は、みんな娼婦っぽいのかと、僕は怒りを通り越して笑いました。

 東予地区14校の校則を比べるだけでも、いかに「校則に根拠がないか」がよく分かりました。

 僕は、生徒会名義の学校新聞を配布して、他の高校との比較を載せました。データに基づいた反論ですから、校内ではかなりの反響が起こりました。その行動に先生達は怒り、締めつけはさらに厳しくなりました。

 そのまま、どうにもならずに、任期は終わりました。公約だった校則がなんにも変わらなかったじゃないかと、僕は何人かに責められました。「お前は嘘つきだ」と。

 僕は、『愛媛県高校生徒会連合』を作ったんだ、着々と力を付けているんだ、もう少ししたらなんとかなると思うと言いたかったのですが、発表してしまうと、学校側は間違いなくつぶしにかかると考えて、黙っていました。

 そして、高三の冬、何人かで協力して、東予地区14校の校則をまとめ、比較した本を『愛媛県高校生徒会連合東予支部』名義で300部ほど作りました。

 記録として『愛媛県高校生徒会連合』の二期目のメンバー達に残そうとしたのです。

 僕の高校では、僕が頼んだ後輩が立候補して、生徒会長に当選していました。彼は、『愛媛県高校生徒会連合』を引き継ぎ、発展させると約束してくれていました。

 卒業式の日、突然、生徒指導の先生に呼ばれました。そして、「鴻上は、生徒会連合って知ってるのか?」と聞かれました。僕は全然、知りませんと答えました。すると、「××高校の生徒会長が、『生徒会連合』の会合に出ていいかと生徒会顧問の教師に聞いてきたんだ。どうやら、『生徒会連合』なるものがあるみたいじゃないか」とさらに聞かれました。僕は「全然、知りませんねえ」と答えました。生徒指導の先生は、「大人が平気で嘘をつくから、若者も嘘をつくようになったのかねえ」と僕をじっと見ました。

次のページ
「いっさい、記憶にございません」が流行語になった時期