ネット上ではしばしば「チューブ吐きのやり方を教えてください」という依頼を見かけるし、筆者も質問されたことがある。が、自分も含めて、具体的に説明することはさすがにためらわれるものだ。それでもやる人はやるし、会得する人は会得してしまう方法だというのが、共通認識だった。

 そんなチューブ吐きをやる人がここ数年、明らかに増えた気がする。また、情報の共有も盛んになった印象だ。摂食障害の状況はカジュアル化と深刻化が同時進行しているのかもしれない。

■なぜ痩せることにこだわるのか

 と、ここまで読んできても、摂食障害のつらさが今ひとつピンとこない人はいるだろう。それこそ、なぜ痩せることにそこまでこだわるのか、と疑問に思ったり。だが、人はみな、自分のつらさ以外はなかなか理解できないものだ。特に、痩せ願望についてはほとんどの女性が抱いている分、うまく折り合いをつけられている人にとっては、かえってわかりにくいとも考えられる。

 さらにいえば、同じ摂食障害の人同士でも共感できるとは限らない。「症状格差」や「治療意欲格差」といったものが、羨望や嫉妬を生み、理解を妨げるのだ。 制限型の拒食の人が「食べる」ことができる排出型の拒食の人をうらやんだり、後者が「吐いている」ことで前者に引け目を感じたり。非嘔吐過食の人にすれば「吐ける」ことがひたすら妬ましかったりもする。また「早く治したい」派と「気長につきあっていく」派もなかなか相容れないし、回復しつつある人がそうでない人を啓蒙しようとして軋轢が起きることもある。

 そんななか、最大の壁は「体型格差」だろう。摂食障害においては、誰もがそれぞれの生きづらさを表現しようとしているわけだが、痩せすぎていればそのつらさはかなり可視化される。しかし、非嘔吐過食や吐いても痩せていない場合、そのつらさは可視化されにくい。いわば「つらさが伝わらないつらさ」にもがき苦しむことになるのだ。

 また、医療というのは命を救うことが第一なので、命の危険がなさそうだと関心を持たれにくい。それゆえ、体重が増えても心の問題が解決していない場合、つらさはむしろ増したりもする。見た目は元気そうになったのに、痩せすぎていた頃に戻りたがる人がいるのはそのためだ。

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