アトランタ五輪では聖火最終ランナーを務めたモハメド・アリ氏 (c)朝日新聞社
アトランタ五輪では聖火最終ランナーを務めたモハメド・アリ氏 (c)朝日新聞社

 チケットの第一次販売に続き、7月1日からは、東京2020オリンピック聖火ランナーの公募も始まった。来年3月12日には、古代五輪が行われていたギリシャ・オリンピアのヘラ神殿跡で太陽の光から聖火が採られ、日本へと運ばれる。その後聖火リレーは、3月26日に福島から始まり、7月24日の東京・新国立競技場での開会式まで、全国を約1万人が桜をモチーフとしたトーチを持ち、走ることになる。

 しかし最も注目を浴びるのは、やはり最終ランナーだ。誰が聖火台に火を灯すのか、それにより東京五輪が世界に何を伝えるのか、非常に重要な人選となる。

 過去の大会を振り返ると、最終ランナーは主催国の優れたアスリート、または引退した偉大な選手らが務めている。しかし単なる著名人というのではなく、そこには非常に深い意味が込められている場合もある。

 1996年アトランタ五輪の聖火台に火をつけたのはモハメド・アリ。言わずと知れたボクシングのスーパースターであり、ローマ五輪(1960年)のゴールドメダリストである。引退後パーキンソン病を患っており、アトランタの聖火台の下で、震える手でトーチを持ち点火する姿は、皆の胸に迫るものがあった。アリはオリンピックチャンピオンとなった後でも、故郷でレストランへの入店を断られ、その黒人差別への怒りから、金メダルを川に投げ捨てた。この話は創作らしいが、リングの外で差別と戦い続けたのは確かである。公民権運動、ベトナム戦争での徴兵拒否で政府(白人側)との対立を深めて、ボクシングライセンスを剥奪され苦悩の時代を送った。そのモハメド・アリが、最も奴隷制の名残が残り、人種差別が酷かったとされるアメリカ南部の街、アトランタでの聖火点火者となった。そこには融和、平等への祈りの意味が込められていたと考えていいだろう。

 2000年シドニー五輪の最終ランナーは、同大会で陸上400mのゴールドメダリストとなったキャシー・フリーマン。白いタイトスーツを身にまとったフリーマンが、水の中の聖火台に点火している。彼女はオーストラリア先住民族で、その象徴的アスリートであった。オーストラリアでは白豪主義と呼ばれる非白人排除政策が18世紀に始まり、先住民族の人種隔離、迫害は1970年代まで続いた。その後も差別は残り、彼女もまた、それと戦ってきた選手である。近年、多文化主義を掲げるオーストラリア・シドニーは、フリーマンにトーチを託すことで、差別のない世界を作っていくということを国内外にアピールしたのである。

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