当時ガンバの強化部長を務めていた山本浩靖が元日本代表FWの呂比須ワグナーを招へいし、10年間指揮を執った西野朗監督の後釜に据えようとしたが、呂比須が日本サッカー協会公認S級ライセンスに当たる資格を取得していないことが判明。有資格者のセホーン監督が「名目上の監督」を肩代わりする形でガンバにやってきたのだ。この事実はセホーン自身が日本メディア向けのインタビューで明らかにしている。つまり、事実上の「ダメ監督」は呂比須の方だったのかもしれない。

 いびつな関係性が現場にも大きな影響を及ぼした。同年のガンバは今野泰幸をFC東京から獲得し、倉田秋や丹羽大輝らをレンタル先から復帰させるなど戦力的には決して悪くなかった。だが、チームとして1つの方向性を見出せず、バラバラ感が否めなかった。解任劇の後、レジェンドの松波正信監督が事態収拾に向かったが、今度は経験不足を露呈。結果的にクラブ史上初のJ2降格の憂き目に遭った。

 その翌2013年に就任した長谷川健太監督が14年にJリーグ、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)、天皇杯の三冠を1年で達成したのを見ても分かる通り、当時のガンバの戦力はJ1トップクラスだった。遠藤保仁や今野ら豪華タレントを抱えながら2部落ちしたのは、セホーン・呂比須体制のボタンの掛け違いが発端と言わざるを得ない。監督選びというのは慎重さが強く求められるのだ。

 同じような失敗例として多くのサポーターの脳裏に焼き付いているのが、2016年開幕から名古屋グランパスを率いて8月下旬に休養した小倉隆史監督だ。名古屋黎明期のスターとして注目され、アーセン・ベンゲル監督体制の95年に37試合出場14ゴールという結果を残した大物生え抜きFWは、他クラブで監督経験を積むことなく、いきなり古巣の監督兼GMという大役を担った。「この人事はさすがにリスクが大きすぎる」という声もあちこちから聞かれたが、メインスポンサーの「大物生え抜き監督がほしい」という要望にクラブ側が応えた形だったと言われる。

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小倉ンパスの悲劇