そういう意味では8050問題(介護問題など高齢化するひきこもり親子の問題)のど真ん中でしょうが、介護問題はひきこもりに限った話ではなく、誰にでも起きる話であって、ぼくはむしろ独身者問題だと捉えています。8050問題はいずれ社会の問題となる。いまの8050問題の取り上げ方は社会問題ではなく、社会の病理という捉えかたでしょう。それはあまり生産的な議論ではありません。

――川崎殺傷事件や練馬事件の報道を見て、どう思われたでしょうか。

 一連の事件によって、ひきこもりは「犯罪予備軍だ」という印象が強くなったのは間違いありません。ただ、それはごく一部の人のことであり、当然ながらひきこもり全体のイメージとして語るのは間違っていると思わざるを得ません。

――いまの社会状況では「中高年のひきこもり経験者」である杉本さんも、日ごろからナイフを待って街中をうろついているという偏見を持たれそうですけれども?

 そんなこと想像もつかなかったなぁ(笑)。私も若い時そうでしたが、そもそも家の外に出るのが怖かったり、疲れやすかったりするのがひきこもりではないでしょうか。

――「みんなを道ずれに死にたい」という衝動に駆られたことは?

 むしろ私は死ぬのが怖い人間なんですよ。死ぬくらいならとことん逃げます。確かに10代のころはパンクロックが好きでしたし、その気持ちもわからないくもないですが、いまそんな衝動はないし、自分自身では想像もつかない。逆に若い世代の夫婦と小さな子が公園で遊んでいると「これぞあるべき平和だな」と思います。今でも戦争やテロがある中で。ですから基本的に平和主義者です。

 しかし、孤立感や絶望感が深く、理不尽な目にあった人は暴発することもあるでしょう。それはひきこもりだからというより、人の中にあるさまざまな感情の混乱だと思います。

――犯行に及ぶまで気持ちが暴発してしまう人と、杉本さんのように公園で親子を見て目を細める人、その差はどこにあると思いますか?

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「当時の私は病的でした」ひきこもりの引き金は