今季、ケガをするまでは絶好調だった筒香嘉智選手 (c)朝日新聞社
今季、ケガをするまでは絶好調だった筒香嘉智選手 (c)朝日新聞社
通算代打本塁打27本の世界記録を持つ元阪急の高井保弘選手(中央) (c)朝日新聞社
通算代打本塁打27本の世界記録を持つ元阪急の高井保弘選手(中央) (c)朝日新聞社

 4月13日、横浜スタジアムで行われた広島戦だった。4回裏、左打席に入ったDeNAの4番・筒香嘉智の右ひじに、広島の左腕・床田寛樹の速球が命中した。「ウッ」と筒香は声を上げると、その場にうずくまり、やがて動けなくなってそのまま交代した。

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 この日まで筒香は、打率.358、4本塁打、13打点の好成績を残しており、翌日以降の試合も欠場を余儀なくされた場合、チームには大きな痛手となるはずだった。筒香は骨折したのか、はっきりしないが、治療で長く欠場するだろうというのが大方の予測だった。ところが彼は翌日もグラウンドに姿を見せベンチ入りし、いつでも試合に出られるように待機した。これには誰もが驚かされた。次のカードの中日2連戦も筒香の姿はベンチにあった。あの巨体で、鋭い目線で、どっかりと腰を下ろしていつものように戦況を見据えていた。

 ラミレス監督によれば、筒香は十分な練習もできない状態にあるといい、「当分は試合に出さない」「いや代打で使うかもしれない」とも語っており、真意が読めず、そのため周囲に臆測が加わった。

 筒香がベンチにいる限り、相手チームも彼がいつ代打で出てくるのか気が気でないのは容易に推測できる。野球中継では解説者も「ここで走者が出れば、筒香代打でしょうね」と語るほどで、相手チームは彼の存在に振り回されたかのようだった。

 このとき私の脳裏に「ベンチの4番打者」という言葉が浮かんだ。教えてくれたのは、通算代打本塁打27本の世界記録を持つ元阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の高井保弘である。

 高井は1964年に阪急に入団し、打撃には見るべきものがあったが、守備に難があり、レギュラーにはなれなかった。当時はDH(指名打者制)もなかったので、彼がプロで生きるためには代打に徹するしかなかった。

 高井は1972年にシーズン代打本塁打の日本タイ記録(当時)となる5本塁打を放って1軍に定着する。

 以後代打の切り札としてチームになくてはならぬ存在になった。

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緻密な男・高井