野村克也、晩年に見せた「激レアプレー」に野球の神様も混乱 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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野村克也、晩年に見せた「激レアプレー」に野球の神様も混乱

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久保田龍雄dot.
西武ライオンズ時代の野村克也=1979年5月27日撮影 (c)朝日新聞社

西武ライオンズ時代の野村克也=1979年5月27日撮影 (c)朝日新聞社

 2019年シーズンも開幕まで約1カ月となり、今季の展望に思いを巡らせる今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「野村克也の戦後初の三冠王&現役晩年編」だ。

*  *  *

 野村克也が戦後初、プロ野球史上2人目の三冠王を獲得したのは、1965年だった。これまで5度の本塁打王、3度の打点王に輝いた野村にとって、唯一首位打者が“鬼門”だった。

 ところが、同年は首位打者争いの常連、張本勲(東映)、ブルーム、広瀬叔功(いずれも南海)が揃って伸び悩み、10月3日の時点で、3割2分7厘の野村がトップ。8月初旬にスペンサー(阪急)に最大7本差をつけられ、「一番苦しかった」本塁打も、9月7日に逆転し、2本差の40本。そして、打点も2位・ハドリ(南海)に27打点もの大差をつける106打点で、4年連続の打点王を当確にしていた。シーズン終了まで残り13試合。悲願の三冠王は、もう目前だった。

 だが、ライバル・スペンサーも、右足の痛みや執拗な敬遠攻めにくじけることなく、首位打者と本塁打王に並々ならぬ闘志を燃やしていた。直近10試合で28打数9安打、4本塁打の猛チャージで、打率も1分6厘差の3割1分1厘まで上げた。これに対し、野村は直近10試合で26打数5安打、1本塁打と調子を落とし、苦境に立たされていた。

 そんななか、10月5日、近鉄戦が行われる日生球場に到着した野村は、突然、周囲から「三冠王決定です!」と言われ、目を白黒させた。

 実はこの日、西鉄戦に出場するため、バイクで西宮球場に向かっていたスペンサーが、軽四輪車と出合い頭の衝突事故を起こし、右足腓骨2カ所を骨折。全治2カ月の重傷を負っていたのだ。

 最大のライバルのまさかのリタイアで、本塁打王はほぼ確定。首位打者争いも、2位・スペンサーに加えて、打率3位の高木喬も10月3日から急病で欠場しており、野村を脅かす者はいない。かくして、“三冠王決定”となった。
 
 シーズン終了後、野村は「今年のワシほど幸運に恵まれた男も少ないやろ。実力四分、ツキ六分が、ワシの三冠王の内訳やと思っている」と語り、“野球の神様”に感謝した。
 
 ヤクルト監督時代に、「勝った日はパンツを変えない」「神宮球場まで“そこを通ると勝つ確率が高い”ルートを多少遠回りになっても通う」などのゲン担ぎを好んだのも、この実体験の影響からである。



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