苦労は多かった。地獄も見た。でも今はいい思い出だけが残る。
「私たちにつらいところを見せたことはありませんが、本人もよほどがんばったから、あんなふうに芸能界でやっていけたのですよね」(同)
その芸能界入りも、両親はテレビを見て知った。ボクシング中継で映ったラウンドガールが、なんと娘だったのだ。その後お父さんは、「芸能界でも、やるからには日本一になれ」と飯島さんを励ましたという。
「そんなの無理!」
これが娘からの返事だった。いかにも正直な飯島さんが言いそうな言葉だが、実際には本人の弱気とは裏腹に、タレント飯島愛は、“日本一”のけっこういいところまで上り詰めていく。
「『私はスーパーのおばちゃんとかにモテるんだから』なんてことを話していたこともあります。男性と違って、顔やスタイルでごまかしが利かないのがおばちゃんたち。言いたいことをハッキリ言って、おばちゃんたちにモテるんだから、この人気は本物の人気よ、なんてね」(お母さん)
家族に告げた“引退”の理由
そんな飯島さんが2005年、芸能界引退を家族に告げる。お母さんには、こんな理由を話したそうだ。
「自分のようにお化粧で化けている人間は、この先テレビが進化すると素顔がバレるから、やっていけなくなる。それより、事業をやりたい」
お父さんも言う。
「どんな事業をやるの?と聞いても、『考えているところ』と言って、詳しいことは話さなかった。娘が亡くなってからですよね。ようやく娘が何をやろうとしていたのか、少しずつわかったのは」
その事業とは、コンドームやアダルトグッズのオンラインショップ。将来は病院やエステ、カウンセリングなども巻き込んで、性に悩む女の子たちに手を差し伸べる一大施設にしたいと考えていたようだ。
「まだ全部は読めていないんですが……」
お父さんがそう言って書斎の棚から取り出したのは、飯島さんのブログ「飯島愛のポルノ・ホスピタル」のプリントアウトだった。芸能界引退後も多くの読者に支持されていたそのブログは、2008年12月、主を失ったあとも、たくさんのファンから途切れることなくコメントが書き込まれた。
閉鎖されたのは、2015年10月31日。飯島さんの誕生日だ。運営を引き継いだご両親の高齢が理由とされていた。莫大な数のコメントが寄せられ、厚さ数10センチにもなるそのブログのプリントを、お父さんは今も少しずつ読み進めているという。
(文/福光恵)