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<第1回>飯島愛さんが両親にだけ語っていた「芸能界引退」の意外な理由【没後10年】

飯島愛のプラトニックな素顔

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飯島愛さん(写真/小暮誠)

飯島愛さん(写真/小暮誠)

「飯島愛の錦糸町風印税生活」イイジマ用語71・実家(週刊朝日2002年9月27日号から)

「飯島愛の錦糸町風印税生活」イイジマ用語71・実家(週刊朝日2002年9月27日号から)

 週刊朝日で連載していた飯島さんのコラム「飯島愛の錦糸町風印税生活」や、それをまとめた書籍『生病検査薬≒性病検査薬』にも、意外なほど実家の話は出てくる。例えば同書にも収められた「実家」というコラム。

<<実家に帰ったら小さいとき家で食べていたおふくろの味が食べたいのに、それは出てこない。カレーが食べたいと言えば、豚バラのカレーがビーフになってる。すっぱくなりかけた麦茶がうちの定番だったのに、それが伊藤園のウーロン茶に変わっている>>

 飯島さんが亡くなって、その実家にはさまざまな人が訪れたという。

「あるタクシーの運転手さんは、『愛さんのおかげで今の自分は生きていられる。だから、どうしてもお線香をあげたい』と言ってね。娘に『遊んでないでちゃんと仕事しなよ』と怒られて、一念発起。タクシーの仕事に就いて、がんばっているそうなんです」(同)

 飯島さんは1972年生まれ。3人きょうだいの「お姉ちゃん」として、この家で育った。とにかく頭がよく、学校や塾ではその将来を期待されていたが、中学生になるころから家出を繰り返すようになる。家族が繁華街を歩き回って探したことも、一度や二度ではなかったようだ。

「もう帰ってくるな!と叱ると、ほんとうに帰ってこない。でもね、根は悪い子ではないことがわかっていたので、それが救いでしたよ。どこの親もそうじゃないですか?どんなときも、どこかでは娘を信じているようなところがありました」

 例えばお父さんが今でも思い出すのは、小学生だった飯島さんのこんな姿。運動会で障害物競走に出場したときのことだ。

「トップを走っていたのに、最後のハシゴくぐりで後ろを振り返り、『早く早く』と手招きして、他の子たちを先にくぐらせた。結局自分はビリでゴール。そのときは、『競争なんだからだめだろう』と注意しましたが、今では私の自慢話になっています」

 一方、お母さんは、飯島さんとのこんな会話を覚えている。

「テレビで活躍していた頃、娘が私をニューヨークに連れて行ってくれたことがありましてね。ハドソン川のほとりで2人でお茶をしていたときに、娘に聞かれたんです。『お母さん、幸せでしょ?』って。『今はとても幸せ。でもここまで来るには、いろいろあったわね』と返事をしました」


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