四條の話とは対照的に、不慣れな外野守備が命取りになって明暗を分けたのが、97年7月19日の巨人vsヤクルト(神宮)。

 3点を先行されたヤクルトは4回1死、3番・ホージーがレフト上空に飛球を打ち上げた。風に乗った打球はフェンスギリギリまで伸び、レフト・仁志敏久のジャンプ及ばず、二塁打になった。

「なぜ仁志がレフト?前日までセカンドを守っていたのに……」とビックリしたファンも多かったはずだ。

 実は、仁志は3週間前に外野の練習を始めたばかりで、この日が実戦で初めてのレフトだった。同年、巨人の外野は松井秀喜、清水隆行、吉村、後藤孝志ら左打者が多かったことから、左投手対策としてセンスの良い仁志に白羽の矢が立てられたのだが、さすがに短期間で外野をソツなくこなすには無理があった。しかも、そういうときに限って難しい打球が飛んでくるものだ。

 ヤクルトは1死二塁から古田敦也の右前タイムリーで1点を返したあと、池山隆寛の打球もレフトへ。これまたフェンスギリギリの難しい当たり。再びジャンプキャッチを試みた仁志だったが、今度も捕球に失敗し、ボールは左中間を転々。この間に池山はダイヤモンドを1周し、「子供のころフェンスのない野球で打って以来」という同点ランニングホームランに。試合はこの同点劇で流れを呼び込んだヤクルトが5対3と逆転勝ち。野村克也監督も「あれは助かった。(仁志の)動きは素人や。今日は負けゲーム。よく勝ったもんや」とホクホク顔だった。

 一方、石井一久に対し、右打者8人を並べる打線重視の策が裏目に出た長嶋茂雄監督は「仁志は責められない。起用した監督のせいだから」と反省しきり。かくして、レフト・仁志は1試合でお役御免となった。

 最終回の一打同点のピンチに、一塁手と三塁手が入れ替わり、一塁手がファーストミットをはめたまま三塁を守る珍事が起きたのが、98年5月19日のオリックスvsロッテ(秋田)。

 9回表に3点を挙げて4対3と逆転に成功したオリックスだったが、その裏、抑えのウィンがピリッとせず、四球と安打で2死一、三塁のピンチを招いてしまった。

 次打者は3番・福浦和也。ここで仰木彬監督は、ファーストのニールとサードの五十嵐章人を入れ替える奇策で対抗する。

 ニールは「こんなの初めて」と目をパチクリ。無理もない。アメリカ時代も含めてサードは未体験。しかも、ファーストミットのままサードを守らなければならない。もし打球がサードに飛んだら……と考えると、かなりリスキーだった。

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仰木監督が一か八かの策を用いた理由は?