2011年のドラフト1位右腕は、宮崎日大高時代に甲子園出場の経験はなく、全国的には無名。それでも185センチの長身から投げ下ろすストレートの威力は「九州のダルビッシュ」の異名を取り、知る人ぞ知る逸材でもあった。

 ルーキーイヤーの2012年、2月の宮崎キャンプはもっぱら走り込みの“陸上部状態”。そこにはスカウト陣の深謀遠慮があった。それは「1軍の首脳陣に見せたら、すぐに使いたくなってしまうから」。それだけの好素材。台頭するのも早かった。高卒ルーキーながら7月に1軍デビューを果たすと、そこから8勝をマーク。2015年は13勝、2016年にも14勝と連続2ケタ勝利と、押しも押されもせぬホークスのエースへと成長しつつあった。

 ところが今季は一転、開幕から投球フォームの崩れで制球に苦しんだ。プロ初の中継ぎ登板となった6月29日までの今季11試合でも、先発で2勝5敗。その2勝はいずれも完封で挙げながら7月18日の西武戦には自己最短の2回7失点でKO降板。2軍調整を経て、同29日に先発するとまた3安打完封。何とも極端な、浮き沈みの激しい安定しない投球内容ぶりに「先発でいい結果を残せず、歯がゆい思いばっかりでした」。

 不安定な要因は、スリークオーター気味になっていた「右腕の振り」にあった。入団1年目のように、右腕を真上から振り下ろすことができていなかったことに自分で気づいたといい「昔に戻したんです。1年目の腕の角度です」。

 この日も打者8人中、5人を内野ゴロに仕留めたのは、低めに制球されている何よりの証拠だった。原点回帰のフォームで復調して「少しでも勝利に貢献できて、よかったなと思います」と武田。デスパイネとともに、投打のヒーローとして試合後のお立ち台に呼ばれたのも、当然の活躍ぶりだ。積極的攻撃と積極的継投、そして武田の「35球」で日本ハムに勢いを出させなかったソフトバンク。まずは、ファーストステージ突破へ「王手」をかけた。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。