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金足農・吉田輝星の「プロ入り表明」は正しい選択だったのか【西尾典文】

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金足農・吉田輝星 (c)朝日新聞社

金足農・吉田輝星 (c)朝日新聞社

 大学の系列校以外でも高い評価を受けながら進学した例は多い。近年、甲子園で活躍した投手では東浜巨(沖縄尚学→亜細亜大→ソフトバンク)と島袋洋奨(興南→中央大→ソフトバンク)の二人が代表例である。東浜は2008年の選抜で5試合中4試合に完投して、防御率0点台と抜群の安定感を見せて優勝。島袋は2年春から4季連続甲子園に出場し、3年時には春夏連覇の立役者となった。

 この二人が進学した背景は、身体的な要素が強い。東浜の高校3年時の体重は65キロと見るからに細身で、島袋も172㎝(当時)という上背のなさがプロから見ると物足りなさに繋がっていた。そのことから大学でしっかり体を作ってからプロを目指すという判断をしたわけである。そして、その思惑は半分当たり、半分外れることになる。大学入学後もともに1年からエース格として活躍を見せていたが、東浜は3球団から1位指名を受けたのに対して島袋は5位という順位でのプロ入りとなった。

 その大きな原因は故障である。2年の春に延長15回を一人で投げぬいてから肘を故障し、3年以降は思うような成績を残すことができなかったのだ。高校野球の登板過多が問題視されることが増えているが、大学野球でも一人のエースに負担をかける起用法が見られることはしばしばある。島袋はまさに、その例によって故障からフォームを崩してしまったと言えるだろう。

 2011年夏の甲子園で優勝投手となった吉永健太朗(日大三→早稲田大→JR東日本)はこの二人以上にプロからの評価は高かったが進学を選んだケースだ。1年春からいきなりベストナインに輝き、全日本大学選手権でも東浜に投げ勝ってチームを日本一に導くなど、輝かしい大学生活のスタートとなったが、その後は肘の故障もあって低迷。3年以降はわずか1勝にとどまり、大学からのプロ入りは断念することとなった。島袋ほどの目立った酷使があったわけではないが、故障による低迷という意味では同じケースと言えるだろう。



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