■オフトの“謀略”で福田と同部屋に

 エメルソンのプレーを初めて見たときは、その凄まじいスピードに驚愕した。対面の相手を一瞬で抜き去って、相手ゴール前まで到達する様はピストルの弾丸のようで、他者とのレベル差を如実に感じさせる実力は見る者だけでなく、チームメイトや対戦相手からも畏怖の念が向けられた。
 
 しかし、2001シーズンの浦和はエメルソンの活躍もむなしくリーグ戦で中位に留まり、カップ戦でも天皇杯ベスト4が最高位と不本意な結果に終わってしまう。このため、クラブは新たに日本代表を率いた経歴を持つオランダ人のハンス・オフト監督を招聘して刷新を図った。

 当時のエメルソンは、“父親”のピッタ監督が職を追われて不機嫌だった。オフト監督はチーム内の秩序と規律を重んじる厳格なタイプで、練習内容もハードだったため、エメルソンは毎日のように指揮官への不満を露わにしていた記憶がある。ただ、オフト監督はエメルソン以上の策士で、猛獣のような彼をさまざまな方法で手なずけていく。

 まず、オフト監督はシーズン開始直後の長期キャンプで選手に2人で一部屋の相部屋生活を命じ、その組み合わせも指揮官自身が決めていた。エメルソンは、当時チーム最年長でクラブのレジェンド的存在だった福田正博(現・テレビ解説者)と同部屋になる。これにはエメルソンも福田も驚いたが、福田自身はオフト監督の“謀略”に半ば感心してもいたという。

「まさか、自分がエメ(エメルソンの愛称)と同部屋になるなんてね。30歳以上の選手は一人部屋になることも多かったし、ましてや外国籍選手は生活習慣の違いなどもあるから、同じ国の者同士で相部屋になることが多かった。ただ、実際にエメとキャンプで生活を共にしていると、普段の彼はいたって普通の若者で、どちらかというとおとなしくて気遣いのできる人物だということが分かった。また、彼のプレー面に関しては当時から破格だった。皆はよくエメのスピードのことをクローズアップするけども、僕が最も凄いと思った彼のプレーは、基本技術の高さ。地味で見えにくい部分だけども、エメは身体のあらゆる部位を駆使して、トラップする技術が優れていたうえに、シュート技術が絶品だった。あれだけ力を込めてシュートを打っても身体の軸がぶれないし、正確に速く相手ゴールへ飛ばせる。エメのプレーを見て、自身の現役生活の終わりが近いことを悟った(当時の福田は35歳で、このシーズンの末にクラブから戦力外通告を受け、現役引退を表明した)」

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