規格外のプレーで浦和のサポーターを魅了したエメルソン(写真・Getty images)
規格外のプレーで浦和のサポーターを魅了したエメルソン(写真・Getty images)

 ブラジル・サッカーリーグのコリンチャンスに所属するFWエメルソンが今年の12月7日にブラジルで引退試合を開催して現役を退くという。

 「えっ!?」と思った。“あの”エメルソンが引退するなんて想像もしなかった。勝手な印象では50歳くらいになっても悠々自適に現役生活を続けているイメージがあったからだ。エメルソンは、今年の12月で40歳を迎えるという。出生届を2度提出して2つのパスポートを有する問題もあって、当時日本でプレーしていたときよりも4歳ほど年齢が高くなっているのはご愛嬌。いずれにしても、日本サッカー界に絶大なインパクトを残した傑物の軌跡を振り返ってみたい。

 エメルソンこと、マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ(当時の日本での通名はマルシオ・エメルソン・パッソス。理由は後述)が日本へ降り立ったのは、母国のサンパウロでプロになってから2年後の2000年のことだった。10代の頃から素行の悪さでサンパウロのクラブ幹部が手を焼く中、当時J2所属のコンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)を率いていた岡田武史監督(元日本代表監督、現・『株式会社今治.夢スポーツ』代表取締役)が彼のプレーを映像で見て獲得を熱望したことで期限付き移籍が実現した。その年に34試合31得点をマークして、札幌のJ1昇格に大貢献した。翌2001年はいったん川崎フロンターレ(当時J2)へ移籍したが、同年7月にサンパウロユース時代からの恩師だったピッタコーチと共に浦和レッズへ電撃移籍。ちなみに、前年の浦和はJ2に在籍して対札幌戦の4試合でエメルソンに計2得点されるとともに、エメルソンは浦和とのゲームで4試合合計で4回の警告と1回の退場処分を受けている。

 エメルソンが加入した2001年当時の浦和は、チーム再建の最中だったが、ブラジル人指揮官のチッタ監督がチームを掌握しきれずに途中解任され、なんと、エメルソンを引き連れてやってきたピッタコーチが監督の任を引き継いだ。ピッタ氏が『父親代わり』だったエメルソンにしてみれば、「渡りに船」で練習に遅刻するなどの規則違反を犯しながらも試合出場を続け、リーグ戦13試合で7得点を記録。早くもチームのエースとしての存在価値を示した。

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