中日岩瀬、前人未到の1000試合登板へ 「ズッコケ投法」「唯一の先発勝利」…忘れがたき“鉄腕の歴史” (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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中日岩瀬、前人未到の1000試合登板へ 「ズッコケ投法」「唯一の先発勝利」…忘れがたき“鉄腕の歴史”

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中日・岩瀬仁紀 (c)朝日新聞社

中日・岩瀬仁紀 (c)朝日新聞社

 残り3試合の時点で、中継ぎながら2年連続2ケタ勝利まであと1勝に迫った岩瀬だったが、10月7日の広島戦は山本昌が完投したため出番なし。同9日のシーズン最終戦(広島線)も野口茂樹が先発するため、プロ通算123試合目で、自ら勝ち投手の権利をかけて初先発が実現した。

「防御率1点台もかかっていたし、本人の1度先発で投げたいという要望もあった。(チーム最多の57試合に登板した)ご褒美だな」(山田久志投手コーチ)。

 そんな岩瀬に1回表、山崎武司が左越えに先制2ランを放ち、援護する。その裏、「やっぱり一番最初は気合が入りましたね」という岩瀬は、木村拓也を三ゴロ、野々垣武志を一邪飛、町田康嗣郎を三振と三者凡退の好スタート。2回も金本知憲とロペスを連続三振、新井貴浩を三ゴロと付け入る隙を与えない。

 6対0とリードした7回に、サード・福留孝介のエラーをきっかけに1点を失ったものの、7回を投球数100球、被安打7、奪三振6、与四死球ゼロで投げ切り、見事シーズン10勝目を挙げた。

 ルーキーイヤーから2年連続の2ケタ勝利は、中日では権藤博(1961年から3年連続)以来の快挙。星野仙一監督も「どのくらいもつか見ていたが、先発でもリリーフでもどっちでもいけそうだ。あんなのがもう1人欲しいよ」と手放しの褒めようだった。

 しかし、本人は「やっぱり先発は長いっすね。疲れて一杯一杯。来年は(先発は)いいです」と固辞。公式戦ではその後、先発することはなかったが、11年のオールスター第1戦(マツダスタジアム)で先発して1回を投げている。

 愛知大時代は1年春から3番を打ち、外野手としてベストナイン4回。神野純一(愛工大-中日)が持つリーグ通算最多安打記録125に次ぐ124安打を記録した岩瀬は「あそこでもう1本打っていたら、間違いなく僕の野球人生は変わっていました。野手に未練を持って、野手をやっていたと思います」と回想する。

 これほどまでに打撃センスの良い岩瀬も、守護神に君臨してからは、打席に立つ機会はほとんどない。そんな数少ない機会が実現し、チームに「打」でも貢献したのが、06年7月16日の阪神戦(京セラドーム大阪)。

 3対1とリードした8回、先発・中田賢一が1死から金本、代打・町田に連続短長打を浴び、ニ、三塁のピンチを招く。前日、前々日と2位・阪神に連敗を喫し、これ以上負けるわけにいかない落合博満監督は、これまで9回の1イニング限定で使ってきた岩瀬を初めて回またぎで投入する。オールスターを挟んで日程に余裕ができるという理由からだった。

 岩瀬は、鳥谷敬の二ゴロの間に1点を失ったものの、後続を断ち、最少リードをキープ。そして、9回1死三塁のチャンスに打席が回ってくると、「初球のスライダーを狙っていけ」という立浪和義のアドバイスに従い、能見篤史の初球をセンター深くに高々と打ち上げた。これが値千金の犠飛となって4対2と再び2点差に。その裏2死一塁で、濱中治を中飛に打ち取り、シーズン23セーブ目を挙げた。

 投打二刀流のヒーローは「まさかあんなチャンスで回ってくるとは思わなかったよ」と苦笑いだったが、“打者・岩瀬”をもう一度見たいと願うファンも多いはずだ。

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。


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