講演後、著書にサイン中の瀧本さん 4月28日、大阪市内で撮影
講演後、著書にサイン中の瀧本さん 4月28日、大阪市内で撮影
若かりしころの瀧本さん
若かりしころの瀧本さん

 瀧本邦慶さん(96)は、1941(昭和16)年11月、千島列島の海にうかぶ航空母艦「飛龍」の中で20歳の誕生日をむかえた。そのまま約2週間後のハワイ・真珠湾攻撃に向かい、翌42年6月のミッドウェー海戦にも身を投じた。敗戦の知らせを聞いたのは、「餓死の5分前」まで追いつめられた南太平洋の小さな島でだった……。

【若かりしころの瀧本さん】

『96歳 元海軍兵の「遺言」』の著者であり、戦争体験の語り部活動を続けている大阪市の瀧本さんは、戦場で多くの死を見た。

「もう戦争だけはこりごりだ」。これが、瀧本さんを含めて73年前の人々がたどり着いた「国民的結論」のはずだった。

 それなのに瀧本さんの焦りはいま、最高潮に達しつつある。

「もうこの年になるとな、いつ死んでもええわいと思とります。でも、今はそれどころじゃないんです。今は死んでも死ねない。そう思とります」

 病みあがりの体を奮いたたせて戦場体験を語りつづけているのは、「国民的結論」が揺らぎつつあると感じているからだ。

 瀧本さんは2008年、いまから10年前、戦場体験の語り部となった。中学生や高校生に「国にだまされないで欲しい」と訴える。

 自分は若いころ、だまされました。戦場におくられ、無数の無残な死を目の当たりにし、餓死寸前になるまで、そのことに気づけませんでした。愚かでした。だから若者よ、君たちはだまされないでください。かつてならば「天皇陛下のため」「お国のため」、いまならば「国を守る」「攻められたらどうする」。戦争は反対だが「やむをえないもの」「避けられないもの」もあるのです、と言って若者をその気にさせる言葉に決してだまされてはあきません――。

 そんなことを、くりかえし、何度も、幾度も訴える瀧本さんの大声には、迫力というよりも哀願にちかい響きがある。

 瀧本さんは2017年7月、脳梗塞で倒れた。その年の講演予定は取り消しとなった。

 8カ月後の2018年3月、瀧本さんは語り部活動を再開する。せめて1年間は休んでリハビリに集中して欲しいという家族の願いをふりきっての決断だった。

 復活第一声は次のようなものだった。

次のページ
瀧本さんの復活第一声は…