大谷翔平、内川聖一、稲葉篤紀…「甲子園の夢」が散った明暗を分けた判定 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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大谷翔平、内川聖一、稲葉篤紀…「甲子園の夢」が散った明暗を分けた判定

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久保田龍雄dot.
花巻東時代の大谷翔平 (c)朝日新聞社

花巻東時代の大谷翔平 (c)朝日新聞社

 内川は3回戦の鶴崎工戦で高校通算43号となる決勝3ランを放ち、準々決勝の大分舞鶴戦でも4打数4安打3打点の大活躍。監督を務める父・一寛ともに父子鷹として甲子園に出場する夢もあと1勝で実現するところまで来た。

 だが、1回表2死二塁の先制機に4番・内川は遊ゴロ。結果的にこれが最初で最後のチャンスとなった。

 明暗を大きく分けたのが、0対0で迎えた5回裏。無死満塁のピンチに大分工バッテリーは、スリーバントスクイズを見破りウエスト。三塁走者はタッチを避けようと三本間を結ぶ直線から2メートル以上も離れ、内側に大回りして本塁ベースを踏んだ。

 スリーフィート(91センチ)オーバーにより、アウトと思われたが、「守備側にタッチプレーの意思がなかった」ことを理由に、先制のホームインが認められた。

 大分工側は「納得がいかない。大事な場面であれでは選手がかわいそうだ」(内川監督)と抗議したが、判定は変わらず。

 なおも1死二、三塁で再びスクイズを外したが、今度は捕逸で2失点。「もう1点もやれない」の焦りからだった。

「点が入ったことはしょうがない」。主将の内川はナインを鼓舞したが、6回以降も「思ったより球の切れが良かった」という長谷川をとらえることができず、わずか1安打の完封負け。内川自身も3打数無安打に終わり、甲子園は幻と消えた。だが、「最後は力を出し切り、自分たちのプレーができたので、悔いはありません」と胸を張った。

 2012年、高校最後の夏を迎えた花巻東のエース・大谷翔平(現エンゼルス)は、3季連続の甲子園と東北から初の日本一を目指して岩手県大会を順当に勝ち進んだ。

 圧巻だったのは、初先発した準決勝の一関学院戦。6回2死二、三塁のピンチに、5番・鈴木匡哉に対し、フルカウントから高校史上最速の160キロを投じ、見逃し三振に打ち取ったのだ。打っても3回に同点打を放つなど、準決勝までの5試合で14打数7安打6打点1本塁打と二刀流の本領を発揮した。

 だが、同年は7月23日に岩手県営球場でプロ野球のオールスター第3戦が開催されたことから、準備期間や雨天順延などで盛岡大付との決勝戦は6日後の同26日まで延びた。



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