その場で写真を添付し、LINE(ライン)で松坂へこう送信したのだ。
「松坂さんがいなくなったから、冷蔵庫、空っぽですよ」
その数分後だった。寺原のスマホにメッセージが届いていた。差出人は「松坂大輔」。「早いな……」と思ってメッセージをクリックした瞬間、寺原は仰天した。
「これでいい?」
メッセージとともに添付されていた画像は、なんと注文書だった。松坂は空っぽの冷蔵庫に入れる飲み物をいつも通りに発注して、その注文が受理されたことを示す業者側のメールを寺原に転送してきたのだ。
「ビックリしました。ホント、すぐですよ」
感激と驚き。ただ松坂も茶目っ気を忘れていない。こんなメッセージも続けて寄越した。
「これからは、ワッチに頼んでね~」
ワッチとは、和田毅の愛称だ。松坂と同級生でソフトバンクのエース左腕。『最年長なんだから、後輩たちの面倒はお前が見ろよ』。和田へ向けた、ちょっとした松坂流の苦言でもあったようだ。
寺原が言う。
「ホントに写メを送ってからすぐだったんです。でも、そんなこと、普通してくれます? あの人、中日に行ったのに、僕らの飲み物を買って送ってくれるんですもん」
さらに、この話には後日談がある。
松坂の発注した飲み物のケースが筑後の寮に届いた。差出人の名前を見た寮の関係者が運んできた業者に「これ、間違いですよ。もう松坂はいませんから」と言ったが、念のため松坂に直接連絡を入れると「僕が送りました」と言う。「そんなの、先に言っといてくれよ」と、寮の関係者も仰天したという。
しかも松坂は、今も時折筑後のトレーナーたちや後輩たちへ飲み物の差し入れを送ってくるというのだ。
「もう、神対応ですよ」
寺原は松坂の偉大さを痛感したという。
日南学園時代の寺原は「松坂二世」の異名を取った。
松坂は横浜高時代の甲子園で151キロをマークした。それが当時の「甲子園最速」記録だった。
「それを超えたかったんです。だって僕が松坂さんに勝てるとしたら、それしかなかったんです」
松坂を超えたい。甲子園で。寺原は、そのことだけしか考えていなかったという。