「新記録というより、最初に数を数えはじめた人のほうがスゴイですよ。ヒットにならなかったけど、期待に応えられて満足です」。自分の記録よりも数字をチェックしている人に敬意を払うのは、いかにもイチローらしい。

 この日は記録を214まで伸ばしたが、「記録には狙ってできるものとできないものがあります。(無三振は)それに絞ればできるものだから、大したことないです」と至ってクール。

 しかし、翌25日の日本ハム戦、4回2死二塁の第3打席で、2ストライクからファウルで粘った末、下柳剛の5球目、真ん中低めの142キロストレートを空振り。ついに記録は216でストップした。それでも、記録を意識して当てにいくような小細工はせず、フルスイングに徹したイチローにスタンドのファンは大歓声を贈った。

 試合後、イチローは「昨日で終わってますから、すっきりしてました。1球ごとに盛り上がってもらえて、僕は幸せ者です。(94年の)200安打のときよりスゴかった。途切れて悔しいというより、これでいちいち番記者に記録のことを毎回聞かれなくて済む、という煩わしさから解放されたのがいれしくて」と笑顔で締めくくった。

 同年のイチローは607打席で三振はわずか36だった。

 常にクールなイメージの強いイチローが珍しく感情をあらわにしたのが、1997年7月17日の近鉄戦(大阪ドーム)

 7回無死二塁で佐野重樹をリリーフした左腕・西川慎一から腰の付近に死球を受けると、マウンドに向かって「オアーッ!」と怒りの雄たけびを上げたのだ。

 同年のイチローは、近鉄投手陣の厳しい内角攻めに悩まされていた。前日の近鉄戦の5回にも高村祐から右足首に死球を受け、担架で運ばれて、病院送りになったばかり。一時は出場も危ぶまれたが、エックス線検査の結果、骨に異状はなく、自ら志願して、この日の試合に出場していた。

 にもかかわらず、2夜連続の死球……。思わず怒りが爆発してしまったようだ。

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「怒った?それで普通でしょ!」