江本孟紀「『ベンチがアホやから』事件の真相と引退を決めたもう一つの理由」 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
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江本孟紀「『ベンチがアホやから』事件の真相と引退を決めたもう一つの理由」

エモヤンのわが野球人生(4)

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巨人戦で力投する江本孟紀さん=1977年 (c)朝日新聞社

巨人戦で力投する江本孟紀さん=1977年 (c)朝日新聞社

「ベンチがアホやから」発言の真相を語る江本さん。4月には自伝『野球バカは死なず』(文春新書)を発表した(撮影/西岡千史)

「ベンチがアホやから」発言の真相を語る江本さん。4月には自伝『野球バカは死なず』(文春新書)を発表した(撮影/西岡千史)

野球バカは死なず

(文春新書)

978-4166611676

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 選手会長というのは、キャプテンとは違ってチームのイベントの段取りや球団との交渉などをすることぐらいですが、時々、私は球団社長と話をしていました。

 ところが、80年に期待の新人だった岡田彰布の起用法をめぐってブレイザーと球団が対立。ブレイザーは時間をかけて岡田を養成するつもりだったのに、球団側が「岡田を起用しろ」と言うようになった。そんな時に私は「ブレイザーをクビにしてはダメだ」と思っていました。

 結局、ブレイザーを新聞、マスコミ、ファンも批判し、「岡田使え」のコールが大きくなった。それでシーズンのはじめに、ブレイザーは辞任してしまいました。

■「ベンチがアホやから」発言の真相

 こんな伏線もあって、81年のシーズンを迎えました。「アホやから」発言があったのは、81年8月26日、ヤクルト戦です。

 この年は先発とリリーフで都合よく使われていて、不満もたまっていました。それでも、この日は「絶対に勝つ」と燃えていました。それが、4-2で勝っていた8回に、ツーアウト2、3塁でピンチを迎えた。

 すかさず内野陣がマウンドに集まる。敬遠か、勝負か、それとも投手交代か。中西太監督の指示を仰ごうとベンチを見ると…… 姿が消えていた。ベンチの意志は分からぬまま。結局打たれて同点。そこで交代となり、ロッカールームへ引きあげる時に、周囲の人を気にせずに「何考えとんねん!アホか!」と怒鳴ってしまいました。

 これが記者の耳に入った。すると、翌日の紙面には「ベンチがアホやから野球がでけへん」との見出しになってしまった。これが発言の真相です。

 問題発言となって、球団からは「10日の謹慎」を伝えられました。10日も休むと体を戻すのに2、3週間かかる。もう、この時には現役生活に未練はなかったから、「ここで辞めさせて下さい」と申し出ました。これが真相です。

 でも、中西さんとは今は何のわだかまりもありません。私は選手会長で、チームを代表して意見を言う立場だった。はっきり意見をいうものだから、監督やコーチだけではなく、選手でも私の発言に異論があった人もいたと思う。監督というのは、人を使う大変な仕事。名選手が名監督になれないのは、人の使い方が上手にできないからなんです。今になれば、そのことを私もよくわかります。だから、中西さんに特別な感情は何一つないんです。



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