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“幽霊選手”をやむを得ず登録…野球界のルールは難しい

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久保田龍雄dot.
横浜・マホームズ(当時) (c)朝日新聞社

横浜・マホームズ(当時) (c)朝日新聞社

 1997年6月30日、まだ来日していない横浜の新外国人右腕・マホームズが、本人不在のまま3人目の1軍外国人枠に登録される珍現象が起きた。

 “幽霊選手”が登録されるなんて怪談じみた話だが、なぜこんなことが起きたのか? すべては野球協約の定める外国人制が原因だった。

 当時、外国人枠は1チーム3人まで認められていたが、同年の横浜はメジャー通算12勝右腕・キャンベルが肩の故障で一度も1軍登録されないまま退団帰国したため、ローズ、セルビーの2枠しか使っていなかった。

 協約では7月以降に1軍の外国人枠を増やすことができないので、登録期限ギリギリの6月30日までに3人目の枠を使わなければ、シーズン終了まで2人しか1軍に置けなくなる。

 だが、すでに帰国しているキャンベルの登録は認められない。そこで、すでに入団が決まり、6月29日に支配下登録されたばかりのマホームズを1試合だけ出場登録して急場をしのいだというしだい。

 このとばっちりを食ったのが、マホームズと入れ替わりで登録を抹消された新人左腕・森中聖雄。チームも7月1日の中日戦(ナゴヤドーム)は、投手が1人減った状態で戦わなければならなくなった。

 しかも、翌週来日予定のマホームズは同2日に登録抹消されるので、どんなに調子が良くても、10日後の7月12日まで登板できないというおかしな話になってしまった。

 これには大矢明彦監督も「変な規則だけど、決まりだから仕方がない」とあきらめの表情だった。

 7月15日の巨人戦(東京ドーム)で日本デビューをはたしたマホームズは、同年9試合に先発し、3勝を挙げたが、翌98年は0勝に終わり、8月に退団帰国。最初の幽霊登録が祟ったのか、実質1年とちょっとでドロン!と消えてしまった。

 1死一塁で次打者がシングルヒットを記録。さあ、どうなったでしょう?

 こんなクイズを出したら、10人中10人までが「1死一、二塁」、または「一、三塁」と答えるだろう。普通のケースなら、これでバッチリ正解だ。



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