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“幽霊選手”をやむを得ず登録…野球界のルールは難しい

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久保田龍雄dot.
横浜・マホームズ(当時) (c)朝日新聞社

横浜・マホームズ(当時) (c)朝日新聞社

 ところが、1999年9月14日のヤクルトvs広島(広島)では、なぜか打者走者がアウトになり、本塁ベースを踏んでもいない一塁走者に、得点1が認められるという珍事になった。一体何が起きたのか? 

 0対0の3回裏、広島は敵失と2四球で1死満塁のチャンスをつくり、5番・前田智徳のプロ10年目で初のグランドスラムで4点を先制。さらに、この年ドラフト6位で入団したルーキー・新井貴浩も四球を選び、1死一塁とした後、ディアスが左翼席最前列に飛び込むダメ押しの2ランを放った。

 これで6対0と思われた直後、まさかのハプニングが起きる。フェンスギリギリの打球だったことから、一塁走者の新井は、左飛と勘違い。二塁ベース手前から慌てて一塁に戻りはじめた。

 ところが、折しもディアスが一塁ベースを回って二塁へ向かっている最中。「あっ!」と思ったときには、すでに手遅れ。新井はなすすべもなく、ディアスに追い抜かれてしまった……。

 一部始終を見ていた杉永政信二塁塁審は「ディアス選手が追い抜いたのでアウト。得点は認めます」と宣告した。

 かくして、ディアスの記録はシングルヒットとなり、新井の得点が認められた。中日・ギャレットが1979年5月24日の大洋戦(ナゴヤ)で記録して以来の珍事だった。

 この日広島は5対0とリードしたにもかかわらず、終わってみれば、6対7と逆転負け。皮肉にも“幻の1点”に泣く羽目になった。

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。


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