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「いのち」三田佳子が今だから明かす橋田壽賀子への電話

連載「大河ドラマ誕生55周年の秘話」

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三田佳子さん (c)朝日新聞社

三田佳子さん (c)朝日新聞社

 未希は農村医療を志して故郷の青森で開業するが、やがて親友に請われて東京郊外の新興住宅地で医院を開く。時代は高度成長期に入り、急増する都市人口に対して医師が不足していたころだった。1964年10月10日の東京オリンピック開会式の当日、未希の新たな病院の起工式が行なわれている。めまぐるしく変転する時代のなかで必死に生きる未希。

「同一人物でありながら、年代によって外面も内面も異なる彼女を演じられたのは、映画界で鍛えられた経験があったからこそだと思います。映画で徹底的に役を掘り下げた経験が生きたのでしょうね。それと最も大きかったのは毎週オンエアが終わると橋田先生に電話をして感想をお聞きし、それを参考にして次の撮影のヒロイン像を作ることができたからです」

 映画女優としての三田さんは既に数多くの代表作をもっていたが、大河ドラマでも初期の「太閤記」に茶々役で初出演。その後も「竜馬が行く」「国盗り物語」に出演、この「いのち」と1994(平成6)年の「花の乱」にも主演している大ベテランだ。大河初主演だった「いのち」の一年数カ月の奮闘から何を得たのだろうか。

「大河は脚本、演出、スタッフ、役者とすべての人が一丸にならないとできません。そして最終的には、そうした苦しみを上回る充実感があったからこそ、大河を乗り切れたら『どんな仕事でもやれる』という自信につながったのだと思います。そんな大河で、女性として尊敬できる主人公たちと出会えたのは、女優としてかけがえのない特別な財産です」

「いのち」には歴史上の人物が一切登場せず、三田さん演じる架空の医師・高原未希が体験した農地改革や集団就職、東京オリンピック、高度成長、オイルショックなどを複眼的に描いた初めての大河だった。(植草信和)


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植草信和

植草信和(うえくさ・のぶかず)/1949年、千葉県市川市生まれ。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。

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