1984(昭和59)年、大河ドラマが「近現代史大河」に路線変換した理由を、推進者のひとりだった遠藤利男氏(当時放送総局副総局長)は次のように述べている。

「これまでの大河ドラマで時代や素材をいろいろな角度で描いてきましたが、その切り口、アプローチの仕方がある到達点に来てしまいました。そこで近代を手がかりとしながら、手垢のついた大河ドラマを洗い直してみたいと思ったのです。(略)パターン化され、スタイルも定着してしまった大河ドラマに、NHKスタッフも脚本家も、俳優も、そして視聴者も慣れてしまった。新しい創造性を求めて、パターン化された大河ドラマを洗い直したい、それが近代路線突入の理由です」(大原誠箸『NHK大河ドラマの歳月』より)。

 その一作目「山河燃ゆ」でいきなり太平洋戦争時の戦前・戦中時代を舞台に選んだのは、「一挙に現代ものをもってきたほうが手垢を落とせると思ったからです」、という理由だった。

「近現代史大河」のキーワードが、過去を“洗い直す”、過去の“手垢を落とす”ことだったとすれば、視聴者に最も近い時代である「戦後の昭和」を背景にした「いのち」は、その完成形大河として記録に残る作品だ。

「いのち」は橋田壽賀子脚本、三田佳子主演の1986(昭和61)年第24作目。「近現代史大河三部作」の最終作にあたり、敗戦から制作時の1985年までの「40年間の昭和」を舞台にしている。

「おんな太閤記」(1981年)、「おしん」(1983年~1984年)でヒットメーカーだった橋田壽賀子は、NHKから司馬遼太郎原作の明治物の脚色を依頼されたが、自らの戦後史に擬えたオリジナル脚本を主張し「いのち」を実現させた。三田佳子の起用も橋田の強い推挙によるものだった。

 三田さんが演じたのは農村医療を志す青森県出身の高原未希という女医だった。三田さんは当時の舞台裏を次のように回想する。

「私は『いのち』と『花の乱』の大河二作品に主演させていただきましたが、役者にとって大河ドラマというのは、本当に特別な存在なのです。『いのち』のヒロイン高原未希は、女医として戦前戦後を生き抜いた大河で初めての架空の主人公でした。当時43歳だった私が、彼女の20歳から60代なかばまでを、一年を通して演じたのです。しかも主人公ですからほぼ出ずっぱり。そのうえ5~6回分を並行して撮影しますから若いころから50代までの未希を、1日で演じることもザラでした。まさに『いのち』という題名さながらに“命を削る”仕事でした」

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植草信和

植草信和

植草信和(うえくさ・のぶかず)/1949年、千葉県市川市生まれ。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。

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