私の気がかりも配偶者のことだ。

 最初の手術で入院したときは彼女の親戚宅に頼み、泊まらせてもらった。真っ暗な自宅にひとり帰れば、ものごとを悪い方向に考えてしまう。にぎやかな家で待っている親戚とおしゃべりし、少しでも笑いながら過ごしてほしい。そう思ったからだ。

 取り巻く環境はまったく違う。それなのに、つい劉霞さんを私の配偶者と重ね合わせ、案じていることに気づく。いまだに当局の監視下に置かれ、故人の追悼に専心できないことがどれほどつらいか。昨年12月にはこんな詩を書いたと報じられた。

「私は植物のように生きている。死体のように横たわっている」「私は独りつぶやく。おかしくなりそうだ。こんなに孤独で、話をする権力もない」

 それでも、彼女を思うとき、目に浮かぶのは、なぜか笑顔の写真だ。ネット上に漂う数多くの泣き顔の写真と違い、ありし日の夫の隣で信頼しきったように笑っている。むろん夫も。そこでの2人はいつも笑っている。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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