「難治がん」の記者 気がかりは配偶者のこと。目に浮かぶのは、笑顔の写真 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「難治がん」の記者 気がかりは配偶者のこと。目に浮かぶのは、笑顔の写真

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた一昨年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた一昨年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

入院中の劉暁波氏(左)に付き添う妻の劉霞氏=2017年6月頃撮影、支援者提供

入院中の劉暁波氏(左)に付き添う妻の劉霞氏=2017年6月頃撮影、支援者提供

 生前の夫を診察した独米の専門医は、所属先の病院で「最善の治療」の準備ができている、と発表した。夫妻が希望する海外への出国は、一定のリスクを伴うが不可能ではないという判断だった。これに対し、中国当局は出国を認めなかった。「国内トップクラスの専門医を集めて最善を尽くした」と強調した。

 違う、と思う。

 ある治療が最善かどうかはその内容から自動的に導き出されるのではない。

 科学的根拠(エビデンス)を踏まえ、複数ある選択肢から自分で選び取った、という患者の納得感がいる。家族ともども心静かに治療に集中できる環境も大切だ。最善とはそうした様々な要素を当事者が組み合わせ、それぞれの価値観に沿って判断するものだ。

●末期がんとの闘いだけではなく

 この大学病院での手術でも、がんは切除できなかった。おなかの手術痕は、一昨年2月に初めて切り開かれた「1」の字から横に一本増え、十文字になった。一時的なものと説明されて、へその脇につくった人工肛門をふさぐめどが立たなくなり、身体障害者手帳をもらうことになったのは前に書いたとおりだ。主治医が心配したように、体重、体力ともにいっそう落ちた。

 それでも手術は最善の選択だった。いま振り返っても胸を張って言える。手術してうまくいった場合、いかなかった場合、そもそも手術しなかった場合。それぞれのパターンを思い浮かべ、配偶者と相談して納得して決めたからだ。治療に専念できたことは言うまでもない。

 ひるがえって劉夫妻はどうだっただろうか。2人の前に立ちはだかったのは重い末期がんばかりではない。希望しているのをわかりながら出国を認めようとしない体制をも相手にしなければならなかった。生きるか死ぬかという瀬戸際に、治療以外のことまで考えなければならない。二正面作戦を迫られることがいかに当事者にとって酷薄なことか。

 この件を取材してきた同僚によると、出国は妻の劉霞さんが、夫ががんだと分かる前から望んでいたことだった。夫は中国の民主化のためには国内に残って活動し続けるしかないと考えてきたが、妻の精神状態を気づかい、最終的に同意したのだという。



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