書道家、武田双雲が生まれた瞬間だった。この決断力と行動力。何より自分の感覚で人生を決めているあたりが、武田双雲そのものでありド肝を抜かれるところだ。自身を「行き当たりバッチリ」と表現するあたりも彼の本質を物語っている。退職を聞いた両親は、

「大丈夫、あんたなら何処へ行っても大丈夫だから」

 と温かく見守ってくれたそうだ。会社からは、何度も引き止められ10回ほど引き止め面談もあったそうだが、、一度決めたら即実行の武田さんは、第二の人生を歩むことになる。

 退職後、武田さんは、ストリートで目にしたサックスパフォーマーに感銘を受け、自身も、ストリートで書道のパフォーマンスを始める。

「最初の頃は、唾を吐かれたりもしたし、逆に5万円くれる人もいましたね。それで、やっていくうちにラーメン屋の人に、うちのロゴを書いてよって言われて書いたり、僕がどこかで話をしているのを聞いていた会社員の人が、喋りが面白いから今度うちで講演会やってよって言われて、講演会の依頼がきたり、そこからテレビの仕事にも繋がっていったのかな。NTTの大河ドラマの題字も、路上パフォーマンスがきっかけでしたね」

 武田さんの成功の軌跡を聞いていると、こんなにも人生はうまく転がっていくのかと全く別世界のように聞こえるが、実は書道業界からは厳しい批判を浴びていた時期もあった。

「お前がやっていることは書道なんかじゃない、ただのパフォーマンスだとか、かなり業界から批判をもらった時期もありましたよ。正直、辞めようかと思ったこともありましたね。でも、NHKの大河ドラマの題字を書いたあたりから、全く批判がこなくなったんですよね」

 いとも簡単に自分の人生をさらりと振り返り喋る。成功も挫折も、特に力説することなく話す。まるで、今日の天気を伝えるように。このフラットさが、武田双雲という人間を必要以上に価値上げしない所以なのかもしれない。

 昨年の2017年に、3年後の2020年に書道教室を締め、アメリカに移住することを宣言した武田さん。それは、全てをリセットし、次なる野望のためのアメリカ進出かと真相を確かめてみると意外な答えが返ってきた。

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意外な答えとは?