そういう風に「保守」が分裂する形で「自民党A」と「自民党B」による二大政党制ができて、その両者がお互いにせめぎあいながら政権を争い、そのプロセスに外から「立憲民主党」みたいな「批評家C」が影響を与えてゆくという。拮抗してた方が、外から意地悪はしやすい。なにしろ世界は混沌としてるんだから、固定的にならず、「そういう考え方もあるか……」という修正がきく構造の方がいいと思うの。

 そうやってそれぞれの役割分担が明確になれば、これは「三方一両損」ならぬ「三方一両得」なわけで。今回の選挙の先に、おぼろげながら、そういう方向性が見えてきたかなぁ……という気がしているんですけどね。

──かつて、自民党内に「派閥」があった時代には、自民党内部に「自民党A」と「自民党B」「自民党C」のような多様性が内包されていて、その外部から「社会党」という「政権は取れない批評家」が刺激するかたちで、自民党内の様々な異論が競い合いながら、
日本の政治が動いている時代がありましたが、それと少し似た構造ですね。

橋本:そう、その意味では、以前の自民党って決して「大きなかたまり」ではなかったんだよね。誰かの一強ではない。しっかりした柱があるわけじゃなくて、ホントはもっと雑多なものが集まった「蚊柱(かばしら)」みたいなものだったのかもしれないという気がしてきますね。

 それに、みんな「55年体制」の前がどうだったかなんて、すっかり忘れていると思うんですけど、1955年に吉田茂の「自由党」と鳩山一郎の「日本民主党」が一緒になって「自由民主党」が誕生し、それとほぼ時を同じくして、分裂してた「社会党右派」と「社会党左派」が合流して「日本社会党」ができて、そこからいわゆる「55年体制」が始まったでしょう。でも「その前の10年」つまり、1945年の敗戦から1955年までは、いろんな政党が乱立しながら、くっついたり離れたりを繰り返していた混乱の時代だったんです。

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