ただ、このような「他者依存的思考」は、その場はラクでも、やがて主体性を失っていきます。今の苦しさは、相手と過去が変わらない限り、変えられないものになってしまうからです。そして、過去は変えられず、相手も自分の思うようには変わってくれません。

 アドラーの主張は、「自分の行動は自分で責任を持とう」ということ。つらい面もありますが、主体性は取り戻せるので、結局ラクに生きられることにはなります。

■アドラー心理学は日本と韓国だけで流行している

 ただし、忘れてはならないのは、アドラーは、100年前のヨーロッパの心理学者であること。本質はついていても、私たち現代日本人にとっては、少し偏ったアドバイスになっている気がします。アドラーが生きた時代と、現代の日本では、状況がかなり違ってきているからです。

 一番の違いは、現代の情報量の多さです。現代の情報化社会が、対人関係の感情を刺激し続けています。私たちはLINEやフェイスブック、インスタグラムで、実際に会ってもいない人から、大小の刺激を受け続ける「情報過多」の時代に生きています。

 その結果、アドラーの時代より、現代日本人のほうが、より精神的に疲弊しています。そんな疲れている状況で、さらに「自己責任」といわれると、正論だけに苦しくなってしまうのです。

 また、アドラーがもてはやされているのは、日本と韓国だけだそうです。いずれも他人に気を遣う文化。そんな文化の中では、対人関係での疲れが、特に現代的なテーマとしてクローズアップしてきているのでしょう。

 他人に気を遣う文化は、人の目を気にし、内省する文化でもあります。内省すると、自分の悪いところはいくらでも目に付いてしまう。アドラーの言うことはわかるけれども、その通りにできない自分がいるとき、日本人は自分を責めてしまうのです。

「嫌われる勇気」を持とうと思っても、それは長続きしないことも多い。すると、「やっぱり私はダメだ」と自分を責めてしまうので、結局、人間関係もラクにならないのです。

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