90年代後半には、パ・リーグの各チームで左のワンポイント投手が目立った。トレードで近鉄に移籍した清川の後釜的存在となった柴田佳主也は、初勝利がプロ10年目、登板168試合目と清川を上回り、プロ唯一の黒星が1球敗戦という記録も持つ。同時期には、西武に杉山賢人、オリックスには水尾嘉孝というリリーフ左腕もいた。2人ともドラフト1位入団(水尾は横浜大洋)で、先発やロングリリーフでも活躍した投手だが、ワンポイントとしての起用も多かった。そして同時期のリリーフ左腕の代表格ともいえる存在だったのが、千葉ロッテなどで活躍した藤田宗一だろう。入団以来、5年連続50試合登板を記録するなど、史上初の初登板から500試合連続リリーフ登板を記録し、通算600試合登板が全て救援登板という藤田は「左キラー」のワンポイントとしても活躍した。
最近では、中日の小林正人や高橋聡文(現・阪神)、ヤクルトの久古健太郎、阪神の高宮和也、西武の小石博孝などの名前が挙がる。特に小林はサイドスローから繰り出す切れ味鋭いスライダーが武器の、いわゆる「正統派」の左キラーだ。今季、ソフトバンクから巨人に移籍した森福允彦も、近年はワンポイントでの起用が増えていた。
ここまで左腕限定で名前を挙げたが、右投手でワンポイント的な起用が多かったのが横浜の木塚敦志だ。サイドスローからキレのあるストレートに加えて、多彩な変化球を操った木塚は、07年には76試合に登板し、打者1人のみの登板は33回で被打率.161と起用に応える投球を見せた。球団名がDeNAに変わった現在、この木塚の系譜を継いでいるのが加賀繁で、変則派を苦手とする外国人相手の登板というケースがしばしば見られる。投手分業化や専門化がますます顕著になっている現在、こうした「右のワンポイント」で名を売る投手も増えてくるのかもしれない。