家族や友人など、仲間どうしでタジンを食べる時は、大鍋で作ったタジンをゴザの真ん中に置き、鍋を囲むように車座に座る。ちぎり分けられたパンが銘々に配られ、あとは黙々と、パンをスプーンがわりに、食器は使わずに手で直接食べる。肉や野菜の質感を指先から感じられるため、手で食べるとなお一層おいしい。

 大鍋を皆で囲んで食べるため、ある程度早いもの勝ちなのだが、そこにはマナーがある。食べるのが遅い人の前に肉がなくなれば、誰かがそっと肉片を置く。その場の主人が「この肉はここが一番おいしい」と思う部位を、まず客人に差し出す。周囲より早いペースで食べれば、余った具材がその人の前に集められる。「同じ釜の飯を食った仲」という言葉があるように、いったん同じタジンを囲んだ人々とは深い仲になったような気持ちになるから、不思議なものだ。

 2003年のこと。私はモロッコのタルファヤを目指して長距離バスに揺られていた。首都のラバトからは1000キロを超える長旅だ。バスは時折、食堂で休憩を取りながら進んでいった。食堂ではいつも、同じバスに乗る家族連れや友人グループから声をかけられ、タジンを囲む輪に加わらせてもらっていた。そのおかげで、最終目的地に着く頃には、車内の全員と大きな家族になったような気持ちになることができた。

 その帰り道、ならば私もと、食堂でタジンを注文し、通りかかる人々に声をかけてみることにした。

「どうぞご一緒に」と薦めてみるも、ニッコリとありがとうと言われるばかりで、誰も立ち止まってくれない。それでも、何度も、食事のたびに声をかけ続けてみた。

 何度目かの休憩で、私のタジンに加わってくれた男性がいた。その男性は、数口食べただけで、「ありがとう」と言って手を止めてしまった。男性はすぐに、説明をしてくれた。

「あなたが注文したタジンは、どうかあなたが食べてください。私たちから見れば、あなたは遠くから(わざわざ)来てくれた大切なお客さんです。そのお客さんが食べているものを、私たちが食べてしまうことはできませんから」

 バスの往路と復路では乗客の顔ぶれは違うものの、私がいただいたありがたいおもてなしを、私もおもてなしで返したかった。しかし、再びおもてなしの心で返されてしまったのだった。

 どこで食べてもおいしかったタジンを、私はときどき、日本でも作って食べている。

 食材の選び方だけでなく、スパイスの種類や調理方法まで含めると、タジンの作り方は無数にあるが、我が家でよく作る鶏肉のタジンは、こんな感じで作っている。この味は、モロッコの南西部の町タルファヤで食べたタジンを思い出しながら、再現したものだ。

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