木村伊兵衛写真賞・森栄喜さんインタビュー(1)「肯定から始まるポートレイト」 〈アサヒカメラ〉|AERA dot. (アエラドット)

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木村伊兵衛写真賞・森栄喜さんインタビュー(1)「肯定から始まるポートレイト」

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 写真集『intimacy』で第39回木村伊兵衛写真賞を受賞した森栄喜さんは、前作『tokyo boy alone』刊行の際、アサヒカメラ2011年11月号のインタビューで、自身のポートレイト、ヌードに関するこだわりについて語っていた。
今回は受賞を記念して記事を再掲する(※年数等は記事掲載時のものです)。インタビュー:桐谷麗了子

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 数々の雑誌や広告でポートレイトの撮影を中心に活躍する森栄喜さんが、写真集『tokyo boy alone』を刊行した。台湾で出版され、アジア各地に流通し、今後は欧米でも販売予定というこの本は、男性のヌード写真をまとめたものだ。

「男性の撮影は、僕が写真を撮る理由と言えるほど大切な行為。ここ約7年分の写真を編集したベスト版のような本です」という森さん。写真集を開くと、つややかな肌と均整のとれた肉体を持つ男性たちの表情はどれも穏やか。透明感のある東京の風景と相まって、静かで心地よい開放感が生まれている。

「撮影の際、表情の指示はしません。撮影場所が被写体の男性の自室や家の近辺なので、自然とくつろいだ顔になるんです」

 ヌード写真の多さのわりには、性的なイメージが希薄なのも不思議だ。森さんは、これも撮影場所に関係しているという。「ヌードには、欲望のまま相手の存在を暴露するような暴力的なイメージもあります。でも、僕は被写体のテリトリーに土足で踏み込むのではなく、扉をノックして訪ねるように撮影したい。事前にどこまで脱げるかもきちんと話し合い、モデルが心地よく過ごせるよう留意します」

 同性愛者である森さんが撮る男性のヌード写真には、森さん自身の存在も深くかかわっている。

「この作品は、僕が被写体に自己を投影した、いわばセルフポートレート。被写体の男性たちが同性愛者であるかどうかは関係なく、僕が理解しやすい同年代の人たちを撮りました。恋愛対象でもありません。エロスは作品の一要素ですが、表現したいすべてではないんです」

 では、表現の核には、どのような思いがあるのだろうか。

「肯定されたいという欲求です。被写体と時間を共有すること、作品を見た人に『いいね』と言われることで、僕自身が受け入れられたように感じます。愛する対象や感覚を最大限に肯定して生きる僕の在り方が、他の同性愛者たちの生き方を後押しできれば嬉しいです」

 そう話しながら、森さんは、「でも、こういう考え方は古いのかもしれない」とほほ笑んだ。

「僕より少し下の世代は、思春期の頃からインターネットが身近で、似た感性を持つ人とつながりやすい環境にいたと思います。だから社会で広く肯定されたいという気持ちも僕ほど強くないかもしれません。でも、世代や性的マイノリティーであるかを問わず、誰でも自分を肯定するのが難しい時期はあるはずだし、合理的ではない人間関係の紡ぎ方のよさがあるはず」

 森さんのそうした考え方は、被写体との接し方にも表れる。

「僕は、原始的で面倒な方法で人と接したいんです。被写体には、何年も向き合ううちに、表情が変わった人もいる。その変化をいとおしいと思う。僕も変化しつつ被写体とぶつかり合い、写真ができています」

 相手のテリトリーを尊重するが、当たり障りがないように避けるわけでもない。そうした適度な親密感が漂う関係においては、タイトルのaloneの響きも 一般的なものとは違ってくる。

「このタイトルは寂しいということではなく、ただ一人でいるという意味。誰かといても、寂しいことはある。一人の時でも、誰かを思えば温かいものを感じられることがありますよね」

 他者を思う孤独という優しい快楽。誰もが持つ孤独が喜びに変わるならば、その力でセクシュアリティーを含めさまざまなものを超え、人は穏やかに愛し合うことができるのではないか。

「だから、写真集の裏タイトルは、tokyo boys togetherです」

 森さんは笑った。

 被写体が自らのテリトリーでまとう、その人ならではの空気。その一つひとつに、他者を通して自己を知り、自身を、周囲を愛して生きる森さんの、繊細で温かな孤独が宿っている。

※アサヒカメラ2011年11月号「BOOKS」から


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