銀座三越屋上から撮影した数寄屋橋方面の銀座風景。眼下の晴海通りは地下鉄日比谷線延伸工事で、板張り道路と化していた。画面左側には戦後の銀座名物だった森永製菓の地球儀広告塔が佇立する。(撮影/諸河久:1963年9月14日)
今昔対比撮影は銀座三越の取材協力で実施され、地球儀広告塔の解体作業が始まった絶好のタイミングだった。数寄屋橋方面の高架橋を走る東海道新幹線も画面の中に取り込んだ。(撮影/諸河久:1983年1月25日)
銀座三越屋上から撮影した新橋方面の銀座風景。右端が営団地下鉄(現・東京メトロ)銀座線・銀座駅出入口、その脇には銀座五丁目の名店舗が連なっていた。手前は銀座四丁目停留所で発車を待つ4系統五反田駅前行きの都電。(撮影/諸河久:1963年9月14日)
板っぱり道路と揶揄された晴海通りを走る11系統築地行きの都電。1964年になると残土搬出櫓も使命を終えて解体されていた。ちなみに、旧景から視認できた最盛期の搬出櫓は13基を数えた。数寄屋橋~銀座四丁目(撮影/諸河久:1964年2月1日)
オーソドックスな敷石軌道の銀座通りを走る1系統上野駅前行きの都電。軽量化された8000型の四角い車体が、冬の斜光の中に浮かび上がった。銀座七丁目~銀座四丁目(撮影/諸河久:1964年2月1日)