銀座四丁目交差点を走る最大車体長の5500型。写真の1系統品川駅前行き5502は、1953年のデビュー当初MSN車と呼ばれ、翌年登場予定のPCC車の先陣として喧伝された。銀座二丁目~銀座四丁目(撮影/諸河久:1967年10月21日)
神明町車庫前。最小車体長の都電は1000・1100型の10mだった。写真の1126は葵工業による戦災復旧車で、1949年に復旧されている。更新修繕前のスタイルで、車端にビューゲルを装備していた(撮影/諸河久:1963年5月12日)
王子四丁目~神谷橋。北本通りを走る27系統赤羽行きに充当されたヘビー級の170型。晩年になっても、リベット止め車体は堅牢だった。都電の後方を1962年式「いすゞTX」ダンプカーや「ダイハツCM8型」三輪トラックが走っていた(撮影/諸河久:1965年1月24日)
四谷見附。軽量・騒音低減を設計コンセプトにして、スマートな半流線形車体で登場した700型。戦前唯一の軽量車で、自重は12tだった。晩年は3系統(品川駅前~飯田橋)専用車として活躍した(撮影/諸河久:1964年5月10日)
王子駅前。1950年代に製造された都電の軽量車が顔を合わせた貴重な一コマ。双方とも自重12tで、右側の8000型は1956年から131両が量産された。左側の2500型はバス車体メーカーで製造された。木造車の鋼体化名義で、D10Nを改造した台車を流用していた(撮影/諸河久:1964年5月16日)