吉田修一さんと中村鴈治郎さん
吉田修一さんと中村鴈治郎さん
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 現在は芥川賞の選考委員でもある作家の吉田修一さんが、歌舞伎の黒衣になった。
歌舞伎座をはじめ、全国各地の劇場をめぐり、梨園の機微を間近で感じながら、その舞台裏で見たものとは?

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 吉田さんは3年ほど前、歌舞伎役者の四代目中村鴈治郎さんと出会った。歌舞伎の世界を描いてみたい、という思いを伝えると、鴈治郎さんは黒衣になることを提案。なれば舞台裏にも袖にも入れ、ぐっと近くから芝居も見られる。

「寸法を合わせ、つくった衣装を渡すと、これがまた妙に似合ってね」とほほえむ鴈治郎さん。ただ、その衣装は、洋服のように簡単に着ることができない。和服ともまた違い、ひもがたくさんついており一筋縄ではいかない。「はじめは着るのも難しかったんです」と吉田さんは苦笑する。

 で、実際に黒衣になってみると、「朝、鴈治郎さんと楽屋に入り、夜まで劇場の中にいさせてもらうと、そこにしかない時間の流れが感じられまして」。

 舞台裏で人の動きを見つめ、袖では正座し、ときに舞台の役者に見とれた。時とともに足がしびれる、なんてことも。「小説を書くためというよりも、好奇心がわいてきて、楽しくて仕方なかったですよ」

「役者さんって、出番のぎりぎりまでお相撲の話なんかしていても、舞台へと向かっていく後ろ姿はやはり、どう見てもその役なんですね。そうやって気づくことがたくさんありました」

 役者と、それ以外の人の違いはと言うと? 「大勢の観客が見つめる舞台に、すっと向かっていけるかどうかと思う。それができるのは、何者かに選ばれた役者だけです」。鴈治郎さんは「ほとんど毎日、舞台に立っているからね。ものすごい時間を過ごすことで、身につくものがあるんだよ。だから、たとえば歌舞伎以外の舞台に立っても、演出家に言われなくたって、自分の居場所に行けるんじゃないかな」と言っていた。そして、毎月出る舞台が変わることで、常に刺激を受けることもまた大切だ、と。

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