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うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「人工肛門」について。
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いずれ言われるだろうと想像はしていた。
それでも、「がん細胞がおなかの中に散らばった疑いがある」と主治医が今月6日に言い出した時は「急だな」と感じた。その前の診察で、同じCT検査の画像を見た時は、何も言っていなかったからだ。
「このあたりがモヤモヤしていますね」
主治医は体を輪切りにしたモノクロ画像のへそ辺りを指し示す。たしかに、空に浮かんだ雨雲のような灰色の影がみえる。
次にパソコン画面に映し出された折れ線グラフも、この2カ月間でククッと右肩上がりに上昇していた。「ああ……腫瘍(しゅよう)マーカーの数値が2回連続で上がってますね……」と相手はため息をついた。
病状が悪くなっているとすれば、これまで使ってきた抗がん剤がもう効かなくなったことになる。前回のコラムで書いたように、新しい抗がん剤に切り替えると、口内炎や味覚障害といった副作用が出るおそれがある。味をそのまま感じなくなり、ものを口にすれば痛む。つまり、人並みの食生活が難しくなる。
仕方ないか、と思っていたら、主治医が慌てだした。パソコンをせわしなく触り、こちらを向いて、すまなそうな顔をした。
「野上さん、申しわけありません。他の患者さんのカルテを見ていました」
「CTの画像と腫瘍マーカーの折れ線グラフ、両方ですか」
「そうです」
主治医は私のリポートを画面に出して読み上げた。疑いが持たれた部分は「前回と同様」。つまり、がん細胞は散らばっていない、ということだった。
私の診察前に、その患者について問い合わせる電話がかかってきた。だからそのカルテを出していた――と相手は釈明した。よくわからないが、いずれにせよ治療を左右する話ではない。「それならよかったです」。身をすぼめている相手に言い、診察室を後にした。
抗がん剤の点滴が始まるまで、まだ40分間ある。気晴らしに病院近くのそば屋に行き、食事が運ばれてくるまでに「事件」のいきさつを配偶者にメッセージで知らせた。驚かさないよう、書き方に注意した。