――その期間は、どんなことを考えていましたか?
なにかを感じたり、考えたりすることはできませんでした。ただ布団にもぐって「何も知りたくない」「何も見たくない」「何も聞きたくない」と思うだけです。寝ているあいだに会社で罵られていた当時の夢を見て、眼が覚めてしまうということはよくありましたけど。
この期間は、「うつ状態」とハイテンションな「躁」の状態を行き来していました。
躁状態に入ると今度は寝ません。家事をして、病院へ行き、ありったけのお金で買い物をして、夜中まで飲みに歩く。うつ状態のときとは人が変わったように活動的でした。
――周囲はどんな反応でしたか?
夫は協力的ではありませんでした。躁状態のときは何も言わず、うつ状態になると「働かざる者食うべからず」「使えないやつだ」と言っていました。
母子家庭で育ったので父とはつながりがなく、母とも疎遠でした。私が休職した段階で、母は「うちの家系から精神疾患だなんて恥ずかしい」と言い、「あなたの気質が悪い」と言ってました。
友人は就職時から相談に乗ってくれ、いまでも感謝していますが、私の躁状態がひどくなってからはしだいに離れていきました。
――誰にも相談できる状態ではなかったんですね?
相談したいと思ったことはありません。自分が「病気」「苦しい状態」だという認識すらありませんでした。
――お話を聞くかぎり、ひきこもっていたこと自体よりも、周囲が心の傷に理解を示していないほうが危険な状態だと感じるのですが?
そのとおりです。1年半のあいだ、激しい躁うつ状態をくり返して自殺未遂に至りました。大量に服薬して気が付いたら病院で胃洗浄を行なっていました。医者からは「家に帰ってはいけない」と言われ入院しています。
この入院によって激しい躁うつ状態が、やや収まりました。今に至るまで約20年間は「ひきこもり」状態だと思いますが、苦しかった時期のひとつです。