ただ、試合は始まる。ベンチ裏はチーム関係者以外、立入禁止になる。松坂への直接取材はもちろんできない。球団から先発回避の理由を説明する「お知らせ」と記されたメールが番記者たちに送られてきたのは試合開始から約50分後、3回表の中日の攻撃中だった。
それによると、松坂はブルペンでの投球練習中に背中の痙攣を起こして投球ができない状況になったという。松坂は「投げます」と登板を志願したというが、森繁和監督をはじめ首脳陣やトレーナーの判断で登板回避を決定。ルールに基づき、審判団と西武側の了承を取った上で、プロ2年目の20歳・藤嶋健人の先発に変更となった。
松坂はベンチ裏でマッサージなどの施術を行い、試合開始から1時間半後にメットライフドームを後にした。タクシーに乗り込むため、ベンチ裏から関係者駐車場まで西山和夫球団代表が背中を支えるような格好で付き添っていた。
球団を通して、松坂は無念のコメントを残した。
「ブルペンに入って投げ始めたところで背中がつってしまい、何とか投げようと思ったのですが痙攣が治まらなかったので、登板を回避させていただきました。たくさんの方が投げるのを楽しみに来てくれた中で、このような形になり申し訳ありませんでした」
古巣・西武の本拠地での12年ぶりのマウンドに周囲の期待も関心も高まっていた。西武時代に、このメットライフドームで通算50勝をマークし、ポスティング・システムでのレッドソックス移籍で球団に入った松坂の入札金約60億円(2006年当時のレート)の一部を使ってドーム内の施設を改良、修繕したとも言われているとあっては、ここはまさしく“松坂の庭”でもある。
米移籍前、松坂の最後のメットライフドームでの登板は2006年のプレーオフ第1ステージ。ソフトバンクのエース・斉藤和巳(現・野球評論家)と投げ合い1-0で完封勝利を挙げた10月7日の第1戦だった。幾多のドラマを演じ、栄光と苦難の12年を経て再び所沢へ帰って来た松坂の雄姿を見ようと、31382人の観衆がドームに詰めかけた。スタンドはほぼ9割方埋まり、復活した37歳のピッチングに期待が集まっていただけに、代役先発の藤嶋がプロ初勝利を挙げて11-3の快勝を収めた試合後にもかかわらず、森監督は「こういう状況になって、ファンには申し訳ない」と、まず謝罪の言葉が口をついた。