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野球人として同じ時代を過ごした2人。4月にYouTuberとしてデビューした野球解説者の高木豊さんが配信動画のゲストに江川卓さんを迎えて、作新学院高校時代のことや、世間を騒然とさせた“空白の一日”、メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手など、野球について語りつくした。
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高木:聞きたいことが山ほどあるんですよ。
江川:どうぞ聞いてください。でも言えることと言えないことがありますよ(笑)。
高木:わかっています。まずは、“昭和の怪物”と言われた江川さんの生い立ちから聞かせてください。子どものころ川で石を投げていたって本当ですか?
江川:本当です。
高木:向こう岸まで80メートルくらいあったとか。
江川:正しくは100メートルくらい。小学1年生だと、30メートルくらいしか投げられない。でも投げ続けているうちに、小5くらいで向こう岸まで届くようになった。
高木:小5で!?
江川:うそっぽく聞こえるでしょう。だから話すのは嫌なんですよ。でも本当です。
高木:いやいや信じていますけど。すごすぎますよ。誰かにやれって言われてやっていたんですか?
江川:家に帰るまで暇だっただけです。下校途中に、毎日4、50個は投げていました。
高木:周りから変な子だなって思われなかったですか?
江川:山の中だったので見ているのは猿くらい。猿が証言者ですよ。でも真面目な話、飛距離をだすために研究しながらやっていました。だから私と同じような球を投げたければ、まずは石投げから始めないといけない。
高木:どういうコツが必要だったんですか?
江川:スピンを利かせることで風に上手にのせて飛距離をだすという感じです。
高木:そもそも江川さんって、小学生のころ野球少年だったんですか?
江川:小学生のころはソフトボールをやっていました。
高木:そのときは投手ですか?
江川:サードです。
高木:中学では?
江川:初めはレフトです。エースだった先輩はピンチでコントロールが悪くなる人だった。それで1年の秋に「やってみろ」となって、投手をやるようになった。球は速くなかったけどコントロールはよかった。石しか投げていなかったから投手としての投げ方を知らないままでしたが、それでもバッターを抑えていたから本格的に投手をやることになったんです。