1986年6月13日の近鉄vs西武(西武)では、死球に怒った近鉄・デービスが西武・東尾修に暴行する事件が起きた。
1点を追う6回1死、4番・デービスはカウント1-2から東尾の内角高めシュートを避けきれず、ボールは右肘を直撃。一瞬よろけたデービスは体勢をすぐに立て直すと、怒りの形相凄まじく、マウンドの東尾に襲いかかり、こめかみにパンチを繰り出した。
続けて右フックをお見舞いし、足でキック。両軍ベンチからナインが飛び出し、両者の間に割って入ったが、この間に5発のパンチが東尾を襲った。
直後、五十嵐洋一球審がデービスに退場を告げたが、「向かっていくほどの死球には見えなかった。ぶつけられただけで暴力を振るっては野球になりませんよ」と呆れ顔だった。
退場後、興奮が収まったデービスは「東尾のようなコントロールの良い投手が、ああいうところへ投げるのは故意としか考えられない」と非難した。開幕以来、西武戦で3度目の死球とあって、「何回も我慢していられない。自分にも養わなければいけない家族がいるんだから」と度重なる死球禍で堪忍袋の緒が切れたことをアピールした。
一方、東尾は左目の下を腫らし、右足を引きずりながらも完投で5勝目を挙げたが、「どっちが悪いかは新聞記者の人が見てわかるはず。僕が死球などで仕返しすれば、チームも変になってしまうから冷静に投げたが、カーッとする。今後のことは球団と話し合って決める」と終始憮然とした表情だった。
結局、デービスは10日間の出場停止と制裁金10万円という重い処分を受けた。8試合主砲を欠いた結果、同年、西武に2.5ゲーム差で優勝を逃した近鉄にとっても、暴行の代償は高くついたと言える。
死球をきっかけに両軍入り乱れての大乱闘劇になったのが、1987年6月11日の中日vs巨人(藤崎台)。
巨人が4対0とリードの7回2死二塁、宮下昌己の初球がクロマティの右わき腹を直撃した。
怒ったクロマティは「帽子を取って謝れ!それが日本人の礼儀だろう」と叫びながらマウンドに駆け寄ったが、宮下が謝るそぶりも見せなかったことから、左顔面にガツンと右フックをお見舞い。さらにヘッドロックをかけ、グラウンドに引きずり倒した。