ヤクルト・坂口智隆 (c)朝日新聞社 
ヤクルト・坂口智隆 (c)朝日新聞社 
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 ヤクルトの坂口智隆が、打ちまくっている。5月23日現在で打率.356は堂々のセ・リーグ第1位。今月は2度の“猛打賞”を含む7度の複数安打を記録する一方、ノーヒットは3試合だけで、月間打率は4割に迫る。

「バッティングで結果を出さないと、いろんないい選手がいる中でそういう(スタメン出場できない)立場なのもわかってますんで、『あいつがいないと』っていう存在になれるように日々努力しています」

 好調なバッティングはその積み重ねだと、坂口はいう。打つばかりではない。ここまで25の四球を選び、出塁率.457もリーグトップ。今月ノーヒットに終わった3試合でも、うち2試合は四球で塁に出るなど「僕の役割はそこ」という出塁を意識している。

 坂口はもともと、神戸国際大付高からドラフト1巡目で2003年に近鉄に入団。05年から球団合併により新生オリックスの一員になり、外野のレギュラーに定着した08年からは4年連続でゴールデングラブ賞に輝いた。打っては09年にパ・リーグ2位の打率.317、翌10年も打率.308をマークすると、11年には175安打で最多安打のタイトルも手にした。

 ところが12年以降は度重なる故障で精彩を欠き、自身でも「レギュラーを取ってから10年近くやった中でも、春先の手応えとしては一番あった」という15年も出場36試合どまり。球団から野球協約上の制限を超える大幅な減俸を提示されると、自由契約という道を選んでヤクルトに移籍した。

 ちなみに、ヤクルトはこの年のドラフト1巡目で外野手の高山俊(明大、現阪神)を指名しながら、抽選で外している。当時の真中満監督が当たりくじを引いたと勘違いして、満面の笑みでガッツポーズを見せたシーンを覚えている方も多いだろう。もしこの時に高山を当てていたら、ヤクルトが坂口を獲得することはなかったはずだ。つくづく縁は異なものと思う。

 ヤクルトにおける「第2のプロ野球人生」で坂口を支えてきたもの。それは「試合に出たい」という思いだ。

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“苦肉の策”を前向きに受け止めた今季