現役最後の打席に立った男が、プロ野球記録まであと「1」に迫ったシーズン無敗の投手の連勝記録をストップするという仰天ドラマが生まれたのが、99年9月30日の近鉄vsダイエー(福岡ドーム)。
プロ23年目のベテラン・山本和範(近鉄)は、同年は開幕から2軍暮らしが続き、シーズン後の退団が決まっていた。
だが、引退を勧める球団に対し、現役続行を宣言した山本は、球団が用意した最後の花道として9月30日に1軍登録。古巣でもあるダイエー戦に6番DHとして出場した。
試合は4対4の同点で最終回を迎え、2死無走者で山本に4打席目が回ってきた。マウンドに立つのは、開幕から無傷の14連勝中で、防御率1.17の篠原貴行。この回を無失点に抑え、9回裏、チームがサヨナラ勝ちを決めれば、81年の間柴茂有(日本ハム)以来のシーズン15連勝と勝率10割が実現するとあって、気合十分だった。
ところが、「あと一人」で記録は幻と消える。山本が138キロ速球をフルスイングすると、打球は値千金の決勝弾となって、右翼席に突き刺さった。
「世界で一番広い福岡ドームで41歳が打てた。大した記録はないけど、記憶に残ってくれれば……」
まさに“雑草男”の執念が生んだ一発だった。
試合後、思い出深いグラウンドで花束を手にしてスタンドのファンに挨拶して回った山本は「オレはこれだけの感動を味わった。だから、もう現役に未練はない」と引退を表明。結果的にこれが現役最後の打席となった。
一方、篠原はプロ野球タイの15連勝と勝率10割を目前で逃し、最多勝も16勝の高卒ルーキー・松坂大輔に奪われたが、自身初タイトルの最高勝率(9割3分3厘)を獲得できたのが、せめてもの幸いだった。
2死からのスクイズだけでも珍しいのに、それが回りまわって2ランスクイズになるという珍プレーが見られたのが、1986年9月8日の大洋vs巨人(後楽園)。
1対1の同点で迎えた8回、巨人は2死一、三塁のチャンス。ここで打席に立ったのは、近鉄から移籍1年目の8番・有田修三。2球目にバントの構えを見せた有田は、カウント1-1から斉藤明夫の3球目を本当に三塁線に転がした。まさかのセーフティースクイズ……。俊足の選手ならわかるが、体重83キロで、前年までプロ16年間で盗塁数15と鈍足の部類に入る有田とあって、これには大洋内野陣もすっかり意表をつかれて目を白黒。