元ヤクルトの八重樫幸雄さん
元ヤクルトの八重樫幸雄さん
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 開幕して約1カ月が経過した今年のプロ野球。青木宣親(ヤクルト)、上原浩治(巨人)の二人のメジャー・リーガーが古巣に復帰したが、他にもキャプテンとしてチームを牽引している福留孝介(阪神)、中継ぎで安定した投球を続けている岩瀬仁紀(中日)、2000本安打達成を目指す福浦和也(ロッテ)など多くのベテラン選手が存在感を示している。

 ちなみに、NPB所属の現役選手最年長は今年で44歳を迎える岩瀬で、在籍年数では福浦の25年が最長である。過去のシーズンを振り返っても彼らのようないわゆる『アラフォー世代』のベテラン選手が影響力を発揮して、チームの好成績に繋がった例は少なくない。そこで今回はヤクルトで選手、コーチ、スカウトとして47年間在籍し、プロ野球の現場を知り尽くしている八重樫幸雄氏にベテラン選手がチームに与える影響について話を聞いた。

 どんな名選手であっても年齢とともに体力は衰え、パフォーマンスの低下は避けられない。そして、選手人生の晩年にはレギュラーからは外され、控えに回るケースが大半である。

 八重樫氏自身もプロ入り19年目の1988年に秦真司に正捕手の座を奪われ、その後は古田敦也の台頭もあり出場試合数が減少している。このような局面で、首脳陣に対する不満はなかったのだろうか。

「自分の場合は、まずヘッドコーチだった安藤(統男)さんから秦や若手のキャッチャーに教えてやってくれって頼まれたんですよ。当時はスタッフも少なくてバッテリーコーチがいなかったんですね。そういうチーム事情もあって、若手を育てないといけないことも分かっていたので、『はい、分かりました』と言っていろいろ教えました。そうやって、コーチからはっきりと次に期待されている役割について言われたことは、気持ちを切り替えるうえで、大きかったと思います。ただ、秦は打つ方が好きだったみたいで、古田が入ってきて外野に回ってからの方が生き生きしていましたけどね(笑)」

 レギュラーを外れた1988年から引退する1993年までの6年間は主に代打としてプレー。最後の3年間は一軍バッテリーコーチも兼任し、チームの優勝、日本一にも貢献している。そしてその裏には野村克也監督の配慮があったという。

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自分から辞めますなんて言うなよ