50歳で、パートナーである作家・白川道こと「トウチャン」に突然先立たれ、ボツイチになった私。自宅から救急車で運ばれて病院で臨終宣告を受けたのだが、駆けつけた人々にどう連絡したのか、その日どうやって家に帰ったのか、いつ眠ったのか、などの記憶全体にモヤがかかっている。「人は見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く」という言葉があるが、まさにそうで、私はこの日から、白川の不在を見ないように考えないように、心の目と耳を閉ざしたまま日々を消化していくことだけに腐心していくことになる。
この日から4日間、姉がそばにつきっきりでいてくれたし、会社もあったし、私はけして物理的にはひとりぼっちではなかったけれど、気を許せばどこまでも深い沼に落ちていきそうになって、後を追って死にたくなる気持ちをぐーっと押さえ続け、現実から目をそむけ続けるしか、トウチャンのいない世界をひとりで生きていく方法が思いつかなかった。
毎日容赦なく訪れる夜が怖くて、毎晩誰かとご飯を食べることにした。仕事相手、友人、知人……。男女を問わずとっかえひっかえ約束を入れ続けた。食欲はなかったが、胸の空洞にごはんを詰め込むようにして贅沢な外食を続けた。とりあえず1か月分の手帖が真っ黒に埋まるとホッとしたものだ。ひとりの家に帰るとやけにシンとした冷たい空気が流れていて、3匹の猫だけが所在なさげに寄り添ってくる。ふわふわした彼らをかき寄せながら、もう私には本当の意味での幸せな時間など二度と訪れないんだ、と冷静に絶望していた。
テレビでバカ話や下ネタでおどけながらも、本番の緊張が終わってしまえば、番組でのやりとりを手をたたいて笑ってくれたり、「あれはないぞ」と意見してくれるトウチャンがいなくなった、という不在ばかりが膨らんだ。シリアスな政治や経済、社会問題についてもコメントする前にサジェスチョンをくれた守護神を失ったこと――。それはまるで航路で海図を見失ったような――。そんな心細さばかりが増していた。そして、いつしか精神安定剤や導眠剤なしでは眠れないからだになってしまっていた。