僕は、父親のことも、警察官という仕事も大好きでした。それが、罵倒されているのがあまりにも腹が立つんで、バケツに水をくんで、警察署の屋上からデモ隊に向かって「バカヤロー!」と叫びながら水をかけたこともありました。子供の頃から、性格は変わっていないんでしょうね。
野球に没頭したのは、中学生から。中学で187センチまで伸びて、知られた野球選手でした。それで、高校は名門・高知商業に入学。先輩には大洋の監督をした須藤豊さん、巨人や西武で活躍した鹿取義隆、阪神の中西清起らがいます。もっと年下だと、藤川球児も後輩です。
■四国1位で甲子園、優勝候補筆頭のはずが甲子園辞退に
当時の高知商業は高知県内から優秀な選手を集めていました。私がエースで甲子園出場を決めた新3年生になる前の春(65年大会)は、全国の強豪の中でも優勝候補でした。
ところが、私は甲子園の土を踏むこともできませんでした。チームメイトが他校の生徒とケンカをして、野球部が1年間の対外試合停止処分を受けてしまったからです。甲子園の出場も辞退。ショックでしたね……。私の人生で、これほど落ち込んだことはありませんでした。
それでも、甲子園の開会式の日がちょうど修学旅行の時期だったので、「入場式だけでも見に行こうか」と。レギュラー部員と父母で甲子園に出かけました。最初はね、軽い気持ちだったんです。それが今でも忘れられない記憶となりました。
一塁側のスタンドで入場行進を見ていると、四国のチームがグラウンドに入ってきた。四国大会では高知商業が1位だったのですが、2位の徳島商業、3位の高松商業が入ってきた。そこまでは、まだよかった。その後に、自分たちの代わりに出場した補欠の今治南高校が入場したとたん、涙がドドーッと流れてきた。僕だけではありません。部員も父母も、ほとんど泣いていたと思う。私の人生で最大のショックでもあり、屈辱的な出来事でした。
■江本孟紀(えもと・たけのり)
1947年、高知県生まれ。高知商業、法政大を経て、熊谷組に入社。71年、ドラフト外で東映に入団。南海や阪神ではエースとして活躍。81年に現役引退。8年連続二桁勝利で通算113勝。野球評論家として活躍し、映画やミュージカルにも出演。参院議員を2期務めた。2017年に旭日中綬章受賞。近著に『僕しか知らない星野仙一』(カンゼン)や自伝『野球バカは死なず』(文春新書)。
(構成/AERA dot.編集部・西岡千史)