うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。45歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「戦争はいけない」ということについて。
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暗闇に浮かび上がるホテルを目指し、小走りで向かった。ツルツルに凍った路面が足もとでカッ、カッと音を立てた。
2012年11月、モンゴルの首都ウランバートル。ホテルに着くと、北朝鮮との外務省局長級協議を終えた日本政府関係者が顔を上気させ、囲み取材に応じるところだった。
協議で合意した一つが、北朝鮮の核開発とミサイル問題を議論することだ。
この翌月、安倍政権が誕生。以来5年間、事態は進んでいない。
がん治療では5年間、再発しなければ寛解したと一般的にみなされる。それだけ重い年月が流れたのだ。
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「巻き込まれるのが自分1人で済むならば、そんなふうに『消える』のもありかな」
昨年5月。米国が原子力空母を朝鮮半島近海に差し向け、北朝鮮との軍事衝突が取りざたされたころ、そんな考えが私の頭をよぎった。階段に座っていた人が消えて影だけが残る。原爆投下の記録映像が脳裏にあった。
もちろん「自分だけ」などとということはあり得ない。広島・長崎でも多くの人が苦しみ、命を落としている。にもかかわらず妄想したのは、私のがんが、根治も「共生」も望めないタイプで、なおかつ幸せに過ごしていたからだ。手術直後はしゃっくりが止まらず、30センチほどの傷いっぱいに激痛が走った。麻酔の効かない体に管をぎゅうぎゅう押し込まれた時の痛みも忘れがたい。今ならば病気や治療による痛みでひどく苦しむ前に、満ち足りたまま人生を終えられる。そう考えた。
まだ長生きするつもりの人、子どもの成長を楽しみにしている人は、そんな妄想をすることはないだろう。しかし、一人の為政者の心一つで自分や大切な人が文字通り「消える」かも知れない。そんな穏やかな日常の陰に潜むリスクを、どれほどリアルに感じられているだろうか。